綿羊・緬羊・あれもこれも年表

飼養だけでなく食べる方も加えてみました。


1658 明暦4年     鹿児島海潟村で羊を飼う
1773 安永2年3月    長崎奉行が田村藍水(平賀源内の師)に雌雄の羊を引き渡す
1788 天明8年11月   司馬江漢、長崎で山羊の焼き肉など肉食をする
1832 天保3年8月    幕府、希望者に綿羊を無料で払い下げる制度を始める
1853 嘉永6年12月   長崎に来航したロシア艦隊との交渉で幕府全権が羊肉料理食べる
1853 嘉永6年     渋江長伯が巣鴨薬園で緬羊を飼う
1854 安政元年     栗本瑞見が箱館地蔵町で羊40頭を管理
1856 安政3年     平賀源内が「放屁論」で色づけ羊の見せ物を取り上げる
1857 安政4年5月25日   箱館奉行がライスに綿羊の飼い方を聞く
1857 安政4年5月27日   江戸から回送の綿羊10頭が箱館に着く
1857 安政4年11月25日   渋江長伯、巣鴨薬園閉じ綿羊90頭、箱館奉行へ払い下げ内示
1859 安政6年3月     箱館奉行、物価割掛取調書に「綿羊壱疋 代大銀四枚より七枚迄」と記入
1859 安政6年3月     箱館奉行、異国船用の物資価格で「綿羊并豕 壱疋 金貳両 元代并運賃 銭四百文之凡積 此大銀八枚」と幕府に報告
1859 安政6年8月     栗本瑞見、外国人用牛豕羊の飼育手当をもらう
1859 安政7年2月     箱館奉行、牛豕綿羊飼育の足軽2人とその妻に手当を支給
1860 安政7年10月     元栗本瑞見屋敷内の綿羊小屋を払い下げる
1867 慶應3年       奥医師3名が幕府に牛羊牧養仕法を建議
1869 明治2年3月    「新塾月誌」が小幡篤次郎訳の「綿羊を牧するの説」を掲載
1871 明治4年8月     細川潤次郎がケプロンとサンフランシスコで4回会う。緬羊購入のアドバイスを受ける
1871 明治4年11月28日   細川がメリノ種8頭を連れ帰国、洋種緬羊輸入の嚆矢、しかしこれを明治2年輸入と誤伝したまま今日に至る
1871 明治4年12月     雉子橋で飼養中の細川緬羊から2頭生まれ10頭になる
1871 明治4年12月     明治天皇が中古以来の禁を廃し宮中での獣肉供進を許す
1872 明治5年17日     大蔵省勧農権助由良守応がアメリカで購入した緬羊27頭到着
1872 明治5年*月     ケプロン発注の羊9頭到着
1872 明治5年     仮名垣魯文「西洋料理通」で英国風の羊肉料理を書く
1872 明治6年7月     エドウィン・ダンが開拓使発注の綿羊88頭を連れて横浜着
1873 明治6年8月    英米に畜産学を学ぶため留学した岩山直樹、米国より羊40頭余を連れ帰国
1875 明治8年8月    勧農寮が下総牧羊場開設のためアップジョンズを雇い、羊購入のため清国と米国に派遣
1876 明治8年11月23日     下総牧羊場(2800ヘクタール)が事業開始
1876 明治9年1月     七重勧業試験場は桔梗野牧羊場を開設
1876 明治9年8月14日     札幌農学校が開校、着任した教頭クラーク「強剛質ノ羊豚牛ノ輸入」必要と開拓使に説く
1878 明治11年10月24日    札幌で農業仮博覧会開く
1878 明治11年12月15日    東京三原橋通りの勧奨社で内務省勧農局牧羊場払下げ羊肉を発売
1879 明治12年10月11日    函館の第1次農業仮博覧会で七重試験場が羊肉缶詰を出品
1879 明治12年12月      東京三十間堀の勧奨社で内務省牧羊場払い下げ羊肉販売始める
1880 明治13年6月    米人教師宅のコック原田伝彌が開拓使から綿羊1頭の払い下げを受ける
1880 明治13年6月    原田伝彌が札幌初の洋食店魁養軒を開く
1880 明治13年11月14日    函館新聞に健全社が新鮮なる羊肉販売と広告する
1881 明治14年11月2日     木村荘平が三田いろはで羊肉鍋5銭で売り出す
1884 明治17年6月       桔梗野牧羊場を廃止
1890 明治22年     札幌農学校で綿羊70頭の飼育を始める(同32年全滅して終わる)
1890 明治23年     兼松房次郎がシドニー支店を設立、羊毛の輸出を開始
1906 明治39年9月      東京の松井平五郎が松方農場の依頼で羊肉販売始める
1907 明治40年1月5日    北海タイムスが「羊の料理」を掲載 ジンギスカンなし
1907 明治40年5月      森山家三郎と支峡耕岳が「畜産物利用法」で羊肉缶詰の製法を書く
1910 明治43年3月      東京高等工業学校の校内公開で羊模型に質問続出と新渡戸稲造が嘆く
1912 大正元年10月8日    時事北京特派員鷲澤与四二が「新支那」編集後記にカオヤンローのことを二千歳と書いた
1912 大正元年     小谷武治が「羊と山羊」初版を出す 羊肉料理にジンなし
1913 大正2年     満鐵公主嶺農業試験場に日本からの種羊が入り始める
1913 大正2年10月19日     北京居留民会が中村満鐵総裁の歓迎会で羊肉の烤焼を供す
1913 大正2年11月7日     北京帰りの中村満鉄総裁が同社重役に「成吉斯汗時代の鋤焼鍋」試食させる
1913 大正2年11月8日     中村満鉄総裁が鍋は「成吉斯汗の愛蔵品」と称して大連の名士にジンギスカン振る舞う
1913 大正2年11月19日    満洲日日新聞が「成吉斯汗鋤焼鍋」と書いた
1913 大正2年12月2日    満洲日日新聞が「成吉思汗の焼鍋」と書いた
1913 大正2年12月25日    満洲日日新聞が「成吉思汗鍋」に「じんぎすかんくわ」と振り仮名を付けて書いた
1914 大正3年1月13日    満洲日日新聞が「成吉思汗鍋」に「じんぎすかんなべ」と振り仮名を付けた
1914 大正3年6月9日    長崎発生が読売に羊肉販売店を教え、帝国ホテルなどで食べられると語った
1915 大正4年     岡山市で第一回全国畜産大会を開き招待会で羊肉料理出る
1915 大正4年8月     長崎発生が「実験緬羊飼養法」で羊肉の食べ方として洋式調理など名前だけ触れる
1915 大正4年     駒井徳三が満鉄入社(大正9年4月退社)
1916 大正5年5月    農商務省技手川島一郎が「畜産」に細川潤次郎が綿羊を購入したのは明治2年と書き、以来畜産史は皆明治2年初輸入説になった
1916 大正5年10月    中央畜産會第1回総会後に宴会で羊肉家庭料理を出陳
1917 大正6年5月24日    陸軍と農商務省関係者が九段の偕行社で羊肉料理を試食
1917 大正6年10月7日    中央畜産會第3回大会後の招待会で羊肉家庭料理12種を出陳
1917 大正6年     大谷光瑞が北京などを回って帰国、ジンギスカン食べた可能性あり
1917 大正6年     函館で開かれた衛生展覧会で1日1頭分の羊肉料理が売れる
1917 大正6年     長崎発生が「鶏と羊と山羊」で主として洋風の羊肉料理20種を紹介
1918 大正7年4月     農商務省滝川種羊場が設置される
1918 大正7年     開道50年記念北海道博覧会場で精養亭が羊肉料理を提供、産馬共進会褒賞授与式で羊肉料理模擬店が人気
1918 大正7年6月    長崎発生が「畜産」に札幌の牛肉店が緬羊鍋を売り好評と書く
1918 大正7年10月     野口保興著「家庭経済食物の調理」で羊肉のカツレツで一言書く
1918 大正7年12月17日    大町桂月、満洲鄭家屯郊外で見た蒙古人の牛骨鍋をジンギスカン鍋と書き、同行9人と鍋を擁して撮影(桂月全集3巻)
1918 大正7年12月23日     東京女高師で羊肉入り日本料理発表会開く
1918 大正7年     月寒種羊場でロストル型のジンギスカン鍋考案と伝えられる
1918 大正7年     政府が25年間で緬羊飼育頭数を100万頭に増やし羊毛自給する計画を立案
1919 大正8年1月     田中宏が「畜産」に「羊肉調理法」の連載開始、6月終了したが、50品にジンギスカンなし
1919 大正8年3月     松永安左衛門が自著「支那我觀」に北京ではカオヤンローを「成吉思汗料理」と呼んでいると書いた
1919 大正8年3月     「料理の友」に田中宏が「料理に用ふる羊肉の価値」を寄稿
1919 大正8年4月      東京上野で初の畜産工藝博覧会開く。田中宏が博覧会で羊肉料理の蝋細工を出陳、出店で羊肉料理を販売
1919 大正8年4月29日     読売新聞が副業に羊飼育を勧める記事掲載、羊肉食も勧める
1919 大正8年     畜産試験場北海道支場用地内に月寒種羊場を併置(9年新設公布)
1919 大正8年8月      小谷武治が「羊と山羊」第4版に田中式羊肉調理法を転載、ジンギスカン記載なし
1919 大正8年8月   一戸伊勢子が満洲、北京で食生活の現地調査をする
1919 大正8年     月寒種羊場で需用なく200頭分の羊肉を堆肥にする
1920 大正9年2月20日    北村飼羊畜産組合の総会後、羊食会を開く
1920 大正9年3月20日    農商務省が省内で陸海軍関係者招き羊肉試食会開く ジン無し
1920 大正9年10月15日    大分市で開いた第6回全国畜産大会後の慰労宴で羊肉試食 ジン無し
1921 大正10年5月1日    東京で開いた畜産博覧会場に出店したカフエパウリスタが羊肉料理を出した
1921 大正10年8月     一戸伊勢子と大江スミ子が羊肉料理50種を「食糧評論」に発表
1922 大正11年3月28日    赤坂三會堂での乳肉調理講習会で一戸伊勢子が羊肉料理教える
1922 大正11年夏    東京三越呉服店食堂で羊弁当を始める
1922 大正11年    丸本彰造、出張先の北京でカオヤンローを食べ、鍋持ち帰る
1922 大正11年    一戸伊勢子「裁縫雑誌」12月号に羊肉の網焼を発表、風味増しに松葉、松笠燻しを勧める
1923 大正12年2月   蘆田止水が「名物及特産」に「北京名物 成吉斯汗料理」を書く
1923 大正12年夏     一戸伊勢子が蒙古料理研究で外蒙古まで旅行
1923 大正12年3月28日    一戸伊勢子が東京女高師での第二回乳肉卵調理講習会で教える
1923 大正12年    満蒙文化協長高柳保太郎が大連で中国人に馳走した成吉斯汗鍋の返礼歌もらう
1924 大正13年1月    農商務省畜産局がパンフ「羊肉料理法」発行
1924 大正13年2月    北村緬羊畜産組合が農商務省パンフ取り込んだ「羊肉料理法」発行
1924 大正13年      農商務省熊本種羊場もが農商務省パンフ取り込んだ「羊肉料理法」発行
1924 大正13年2月上旬    鹿野澄、張家口でジンギスカン食べる
1924 大正13年2月21日    茨城県友部種羊場の羊毛羊皮加工実習会で羊肉料理を講義
1924 大正13年3月26日    札幌で教員対象に緬羊及畜産講習会開く、最終日に試食会
1924 大正13年10月    農商務省が松井平五郎を我が国初の羊肉販売商に指定
1924 大正13年10月    大河内正敏が北京でカオヤンロー食べる
1924 大正13年10月     中川兵三郎が北京では甚吉斯汗料理と称すと雑誌に書いた
1924 大正13年    九州連合畜産共進会で羊肉試食会
1924 大正13年    日本女子大学展覧会で羊肉試食会
1924 大正14年1月31日    大連の日華交歓会食会で蒙古式成吉思汗鍋を食べる
1925 大正14年3月     中央畜産会の料理法パンフを出す
1925 大正14年    札幌の肉商小谷義雄が農林省の指定第2号羊肉商になる
1925 大正14年3月10日    東京上野の第2回畜産工芸展覧会で緬羊食堂を開設
1926 大正15年1月10日    山田政平が「素人に出来る支那料理」を出し羊烤肉を在支日本人の一部がジンギスカン鍋と命名したと書いた
1926 大正15年4月20日    辻徳光が「羊豚肉料理」を出す
1926 大正15年8月    松方巌が「畜産と畜産工芸」誌上で五徳で羊肉を焼き、醤油をつけて食べるとうまいと語る
1926 大正15年12月    函館で骨付き羊肉1斤40銭で売り出す
1926 大正15年    大日本至誠會が神戸市で民衆自給大会を開き羊豚肉料理を試食させる
1926 大正15年    福島県内で日本初の肉羊共進会開く
1927 昭和2年3月27日    北海道で羊肉宣伝デーを3日間開き羊肉を廉売
1927 昭和2年10月    糧友會が糧友11月号で「羊肉食宣伝の趣旨」を宣言
1927 昭和2年11月24日    糧秣本廠で第1回羊肉料理講習會開き、鍋羊肉と称してジンギスカンを紹介
1927 昭和2年12月24日    東京・本郷の渡邊裁縫女学校の割烹室で第2回羊肉料理講習会
1927 昭和2年12月    鍋羊肉含む「羊肉料理法」を掲載した糧友1月号が出る
1928 昭和3年3月    年度末に羊肉食講演・映画会を開催 続いて農林省、糧友會幹部らが丸の内東洋軒で羊肉料理試食会
1928 昭和3年3月    北海道庁が「羊肉料理」を発行
1928 昭和3年3月16日    仙台で宮城県と第2師団が知事ら招き羊肉調理研究会開く
1928 昭和3年3月18日    糧友会が牛込高等小学校で第4回羊肉料理講習会
1928 昭和3年3月25日    北海道庁の羊肉消費宣伝計画に従い道内3市で羊肉料理講習会と活動写真会と羊肉廉売を行う
1928 昭和3年3月31日    午前10時45分から丸本彰造が「羊肉の話」をラジオ放送
1928 昭和3年10月     東京で開催の全国馬匹博覧会で8日間だけの羊肉食堂を開設
1928 昭和3年10月5日    東京で知識階級の女性を中心とした羊肉試食会を開く
1928 昭和3年10月11日    一戸伊勢子が読売新聞に羊肉素焼きの作り方を紹介
1928 昭和3年11月23日    九段の和洋女子専門学校で第7回の羊肉料理講習会 350人
1929 昭和4年3月23日    東京・上野で糧友會が食糧展覧会を開く 満洲からジン鍋を取り寄せ実演
1929 昭和4年8月19日    札幌で第1回北海道緬羊共進会開く、羊肉製品の出品なし
1929 昭和4年11月1日    札幌、小樽、旭川で北海道緬羊組合主催の講演・講習会開く 一戸伊勢子がジンギスカンを鍋羊肉(支那料理の焼肉)として指導
1929 昭和4年11月5、6日   函館で北海道緬羊組合主催の講演・講習会開く 講師は一戸伊勢子
1929 昭和4年12月    糧友會が3月に開いた食糧展覧会の内容を纏めた「現代食糧大観」を出す 鍋羊肉を紹介
1929 昭和4年     帯広の三田智大が「北海道農畜産食料の家庭的加工調理法」を出す
1930 昭和5年1月    後藤朝太郎がジンギスカンを含む「支那料理通」を書く
1930 昭和5年2月17日    月寒25連隊将校がスキー後、成吉斯汗料理と羊の薩摩汁食べる
1930 昭和5年3月10日    里見クが時事新報に「満支一見」を連載、6月27日に北京正陽楼のジンギスカンを書く
1930 昭和5年4月    遅塚麗水が「満鮮趣味の旅」を出し、満蒙で食べた話を書く
1930 昭和5年5月10日    第7師団経理部が旭川偕行社で衣食住博覧会を開く
1930 昭和5年5月16日    陸大生秩父宮、公主嶺独立守備隊を視察、ジンギスカン鍋食べる
1930 昭和5年8月    丸本彰造が京城の第20師団経理部長へ転勤
1930 昭和5年11月9日    旭川偕行社で隊長連や市長で成吉斯汗料理
1930 昭和5年11月    遅塚麗水が「糧友」12月号に「成吉斯汗料理」を書く 現地で見た鍋の絵入り
1930 昭和5年11月8日    東京三会堂で第5回羊肉試食会を開く、官民約70人出席
1930 昭和5年11月    銀座に羊肉料主体の「宝来レストラン」が開店
1930 昭和5年12月    満田百二が糧友1月号に「羊肉家庭料理」を書く 一ジンを網焼きと書く
1930 昭和5年     後藤朝太郎が「支那料理通」を出す このほかの著書にもカオヤンローについて書いた
1931 昭和6年1月1日    鹿野澄が小樽新聞に「成吉斯汗料理」を書き、神田にジンギスカン店あると書く
1931 昭和6年1月   「食道楽」が濱町濱のやの京蘇料理を取り上げる
1931 昭和6年1月   小倉進平が羊の語源は「ひげつうし」だろうと「京城雑筆」1月号で発表
1931 昭和6年8月   久保田万太郎ら由比ヶ浜でジンギスカン試食会催す
1931 昭和6年8月25日 久保田万太郎が報知新聞に「じんぎすかん料理」を連載、北ジン紹介
1931 昭和6年9月   久保田らの由比ヶ浜ジンバを支援した日本橋濱町濱のやがジンギスカン料理の提供始める
1931 昭和6年10月   中野江漢が「食道楽」に書いた「成吉思汗の話」で北京の鷲澤井上命名説を紹介
1931 昭和6年11月    山田喜平が「鍋羊肉又は成吉思汗料理」レシピ入り「緬羊と其飼ひ方」初版発行 
1931 昭和6年11月    里見ク「満支一見」に追加して春陽堂から出す
1931 昭和6年     大谷光瑞が「食」で羊肉好きと書く 北京のカオヤンローを焼羊肉と簡単に紹介
1931 昭和6年11月19日    朝日朝刊に東京盛京亭が「小規模に成吉思汗料理始めました」という広告を出した
1931 昭和6年11月    濱の家富山栄太郎が北京正陽楼に鍋一式買いに行く
1931 昭和6年12月23日    東京春秋園が東京日日に「独特の成吉思汗料理開始」の広告を出した
1932 昭和7年     里見クが改造社から「満支一見」を出版
1932 昭和7年1月6日    東京日日が待遇改善を要求した力士団が東京春秋園の籠城開始でジン食べたと書いた
1932 昭和7年1月9日    朝日と東京日日が協会脱退した32力士が更なる団結誓い春秋園で羊2頭のジンギスカン食べたと報道
1932 昭和7年11月25日    春秋園のコック吉田誠一が報知に「おすすめたい成吉思汗料理」を書いた
1933 昭和8年4月8日    荒木陸軍大臣らが遠乗り会後、東京豊島園でジン食べる
1933 昭和8年4月    久保田万太郎が「じんぎすかん料理」を含む「吾が俳諧」を出す
1933 昭和8年9月    雑誌「畜産」緬羊号で「羊の臓物料理」9品を紹介
1933 昭和8年     「大東京うまいもの食べある記」(昭和八年版)に「ヂンギスカン料理で名を売った濱町濱の家」と紹介される
1934 昭和9年10月1日    鎌田澤一郎が「羊」を出す 朝鮮での羊肉試食会でジンギスカンあり
1935 昭和10年4月    道種羊場(滝川)で「緬羊彙報」を発行
1935 昭和10年5月    糧友会「糧友」100号記念に創刊号からの読者と陸軍関係者にジン鍋贈呈、ロストル型で初の国産鍋
1935 昭和10年9月13日    満洲日々が大連の大和ホテル庭の観月会でジンギスカン食べたと報じる
1935 昭和10年12月20日    農相官邸でジンギスカン鍋試食会を開く
1935 昭和10年    半澤洵が満蒙研究資料22号で蝦子醤油(蝦油)の作り方を紹介
1936 昭和11年2月20日    黒田初子が朝日新聞にジンギスカン鍋の作り方紹介
1936 昭和11年10月2日    八紘学院で本庄大将らジンギスカン昼食
1936 昭和11年11月    札幌・横綱でジン試食会、山田喜平夫妻が焼き方を指導したという
1936 昭和11年4月    食肉商松井初太郎が東京高円寺で中国料理も出せる緬羊肉試食場として「成吉思荘」開く(平成6年閉店)
1937 昭和12年2月    「料理の友」2月号に吉田誠一が「成吉思汗鍋料理」に中野江漢の「成吉思汗料理の話」そっくりの井上・鷲沢命名説を書く
1937 昭和12年2月    料理の友社代理部がジン鍋の通販始める
1937 昭和12年4月9日    成吉思荘主人の松井初太郎の「肉炙用厨爐」の実用新案が認められた
1937 昭和12年5月    「糧友」5月号が羊肉料理特集
1937 昭和12年1月27日    宇垣組閣本部へ羊肉とジン鍋差し入れと朝日が報道
1937 昭和12年12月21日   函館新聞がジンギスカンのレシピ掲載
1937 昭和12年12月   雑誌「方言」に手塚昇が「羊の語源」として鳴き声からではないかと書いた
1938 昭和13年4月    山田喜平が緬羊彙報第10号に「肉羊の話」を書く
1939 昭和14年2月    北京時事日報に羅信耀が「呉の冒険」を連載、日本語でジンギスカン鍋というと書く
1939 昭和14年12月    山田喜平夫人マサが緬羊彙報第15号に成吉思汗鍋を含む「羊肉料理」を書く
1940 昭和15年6月    山田喜平著「緬羊と其飼ひ方」8版発行 
1940 昭和15年9月5日    成吉思荘主人松井初太郎出願の「炙肉器」というロストル型焼き面の意匠登録が認められた
1940 昭和16年9月    奥野信太郎が「随筆北京」を書く 北京のカオヤンローを紹介
1943 昭和18年7月    式場隆三郎が「呉の冒険」を翻訳、その「北京の市民」下巻に「日本語では『ヂンギスカン鍋』」と書く
1943 昭和18年    永井龍男が小説「手袋のかたっぽ」で北京のジン鍋を紹介
1944 昭和19年11月    北農会が宮川直衛著「緬羊の話」を出す
1946 昭和21年5月    宮川直衛著「緬羊の飼ひ方」を出す
1946 昭和21年11月29日    同日創刊の函館新聞が羊肉にタレを付ける順序にからむ志賀直哉の短編「怪談」を掲載
1946 昭和22年    吉田稔によると道畜産関係者が札幌の精養軒でジンギスカンを試食した
1946 昭和22年    札幌の精養軒が「幌都唯一」とジンギスカン鍋を始める
1947 昭和22年3月    大河内正敏が「味覚」で北京のジンギスカンを書く
1948 昭和23年5月    松丸志摩三が「緬羊物語」を出す
1951 昭和26年2月    鳥取県大山のホテルでジンギスカン試食し宣伝を計画(日経)後年、不思議な地域と紹介される
1951 昭和26年3月    北羊会が「緬羊の生産物と其の加工法」でジンギスカン紹介、鍋は日本緬羊株式会社で販売と書く
1951 昭和26年    山田政平、北川敬三との共著「中国料理とお弁当おやつ300種」、「四季の支那料理」でジンギスカン紹介
1951 昭和26年12月26日    北海タイムスの札幌・池内金物店の広告にジン鍋初出、1枚625円よりと書く
1951 昭和26年12月    「緬羊」に日緬羊協がジン鍋の広告を出す、取っ手に特徴
1952 昭和27年1月5日    北海タイムスが札幌・精養軒が「成吉汗鍋 御一人前250円より」という広告を掲載
1952 昭和27年9月3日    東京の谷口ンメカ出願の鍋に星形に溝を付ける「肉焼器の形状呼び模様の結合」が登録される
1952 昭和27年10月    伊藤安が「農家の友」にジンギスカン含む羊肉料理を紹介
1952 昭和27年12月19日    北海タイムスがジン鍋小570円、大900円と書いた
1953 昭和28年5月30日    月寒学院で札幌の名士を網羅した成吉思汗倶楽部の第1回ジンパ
1953 昭和28年9月     「緬羊」に村上尚文と岡充が「緬羊肉の利用について」を連載、9月号の2回目でジンギスカン紹介 鍋は日本緬羊株式会社で販売と書く
1953 昭和28年9月    山田政平が「飲食雑記」を出し、日露戦争後流行の兆しあったと書く
1953 昭和28年10月5日    成吉思汗倶楽部が会報第1号を発行 たれをつけて食べると書く
1954 昭和29年    北海道立種羊場が「羊肉の料理・加工法」を出す
1954 昭和29年8月15日    日本緬羊協会が「種羊場の昔を語る座談会」を開く
1955 昭和30年1月    札幌の大金畜産がジンギスカンのたれ発売
1955 昭和30年11月13日    道新が物価記事で「羊肉100匁60、80、100、120と4段階」と書いた。同記事の牛肉100匁は「並100円」〜「極上180円」
1955 昭和30年12月    七戸理三郎が「農家の友」に道種羊場式ジンギスカンを書く
1956 昭和31年3月    滝川で松尾羊肉専門店として開業、後に松尾ジンギスカンと改名
1956 昭和31年9月    吉田稔ほか「北海道の緬羊」を発行
1956 昭和31年9月    グリル・トーキョウが「緬羊」9月号に「都心八重洲にて唯一軒の成吉思汗料理店」と広告
1956 昭和31年    ベル食品が「ジンギスカンのたれ」発売
1957 昭和32年4月     日緬が「緬羊」に改良型ジン鍋発売と広告
1957 昭和32年     国内の緬羊飼育頭数が94万4000頭と最高頭数を記録した 以後減少の一途となる
1958 昭和33年11月    新宿・馬上杯が「炉ばたジンギスカン」と「緬羊」に広告
1958 昭和33年5月    東京の西尾スエヨ出願の商標「成吉思本舗」の登録認められる ジンギス印と名乗る鍋が現れ始める
1958 昭和33年    ベル食品が「ジンギスカンのたれ」1箱仕入れてくれた精肉店に特製鍋贈呈を始める
1959 昭和34年2月    日緬協、溝皆無の無煙鍋を開発したと発表
1959 昭和34年12月    「緬羊」12月号が「羊肉ブームのトーキョー」を掲載
1961 昭和36年1月    森本喜代が「緬羊」1月号に「羊肉お料理あれこれ」でジン鍋を書く
1961 昭和36年5月13日    旧満洲国総務長官駒井徳三死去
1961 昭和36年6月    日吉良一が「農家の友」6月号に「北海道緬羊雑記」を書き、オーストラリアの羊肉料理を紹介
1961 昭和36年11月15日    道新で菊村到の小説「夜を待つ人」連載開始
1961 昭和36年12月    日吉良一が塩谷正作の冗談を真に受けて「農家の友」12月号に「成吉思汗料理事始」を書く 駒井駒井徳三命名説の始まり
1962 昭和37年1月    日吉良一が「北海道の文化」創刊号に「成吉斯汗料理という名の成立裏話」を書き駒井命名説を取り消し図る
1963 昭和38年2月    藤蔭満洲野が札幌百点2月号に「父とジンギスカン」を書く「私の父自身であつたらしい。」「なんとなくつけたのかも知れない。」と断定してない
1963 昭和38年7月    日吉良一が自著「たべもの語源」で駒井徳三命名説を書く
1963 昭和38年11月20日    入江湊が「成吉思汗料理由来」として、明治末年の北京公使館の行事からだと日経に書いた
1964 昭和39年5月    藤蔭満洲野が「父と敗将」を書いた追悼集「麦秋駒井徳三」出る
1964 昭和39年11月    日緬協、湯島の緬羊会館で羊肉料理店を開店(平成元年閉店)
1960 昭和40年7月    釣谷猛が道種羊場式レシピの「成吉思汗鍋」を書いた「月寒十五年」発刊
1976 昭和43年7月    千葉県成田市の遠山緬羊協会が創立20年記念誌「三里塚とジンギスカン鍋」を出版
1976 昭和51年8月    吉田博が「農家の友」8月号に「成吉思汗物語り」を書き、昭和37年に日吉良一が取り消した駒井徳三命名説を復活させる
1977 昭和52年    滝川郷土館が開館、ロストル型ジン鍋を展示
1994 平成6年     札幌西区にレトロスペース坂会館が開館、レトロな民具としてジン鍋も多数展示
1998 平成10年10月   集英社文庫の赤木駿介著「日本競馬を創った男 エドウィン・ダンの生涯」が出た
2004 平成16年7月     「北大生協創立五十年史」が出た ジンバセット関係の記述なし
2005 平成17年7月     ジンギスカン王国滝川うメェー実行委員会が「滝川ジンギスカン物語」を出す
2007 平成19年12月   月寒にも勤務した石川省三を中心とした石川光伸著「緬羊盛衰の証人」が出た
2015 平成25年4月1日     北大が環境保護などを理由にレクリエーションエリア廃止、名物のジンパができなくなり、学生らが復活運動を展開
2014 平成26年5月26日     北大構内2カ所を共用レクリエーションエリアに指定、ジンパ開催を認める
2016 平成28年11月11日     岩見沢市に世界唯一のジン鍋アートミュージアム(ジン鍋博物館)が開館
2017 平成29年9月     昭和10年に糧友会が創立10周年記念で愛読者らに贈呈した国産最古のジン鍋が発見された
2018 平成30年7月24日     2階テラスでジンパをやれるコンビニ・セイコーマート北海道大学店が構内に開店