私こと尽波満洲男が北大路公子著「流されるにもホドがある キミコ流行漂流記」1冊を購入したという厳然たる事実を証明する一助として、下記の写真を提示することにしました。同書の左右と上にある印刷物は、同書に挟んであったものです。左の補充注文カードは購入者に同書を引き渡す際、店員が抜き取って平積み分から1冊減ったから補充用1冊を寄越すようにと、出版した実業之日本社へ要請するための連絡用品と解しておるのですが、抜き取らずに私に手渡したということは、やっと裁けた、もうこの本は仕入れる必要なしと担当者が判断したと考えられますが、それを知れば北大路女史に於かせられては柳眉を逆立てること確実ですが、見方としてどうでしょうか。真相はレジ係の単なる怠慢かも知れません。 今回この購入証明補助ページを講義録の付録にする説明について知友24研に「北大路女史のドジを装いながら諸処に高度の教養をちりばめた文体の影響を受けた風を装って書いた」と飲みながら語ったところ、そりゃ面白い、お前が現役時代の講義風景を俺が思い出して、その女流作家の文体模写で書いてやるから、そのページに載せろよと言い出しました。 彼は気のいい奴ですが、いつ、どれぐらいの長さで書いてくれるのやらわかりません。そもそも文体模写という用語は初めてだれが使ったか。声帯模写は食い道楽で知られた俳優古川緑波と私は見ておるが、文体模写はどうかと時々私も用例を投稿する日国友の会の前例があるかなと見たら一例もなかった。 では別筋と国会図書館を検索したら、昭和23年の山岳雑誌「山小屋」10月号に「文軆模寫」と題する筆者名なしの何かがあると出ました。幸い国会図書館ご自慢(?)のデジタルコレクションだったので開いてみたら筆者はG・D・Mで、夏目漱石調、正宗白鳥調、中里介山調、内田百閒調、武者小路実篤調、久保田万太郎調、徳富蘇峰調と7人分、それぞれ読書家なら一目瞭然、いや一読了解と思われる文体で山関係の事柄を書いていたのです。最短は漱石の9行だから、改行と1字下げ無視で紹介しておきましょう。 「山を見ると登りたくなる。登りたくなるから無理をする。無理をするから遭難する。遭難するから迷惑する。菊を籬にとつて悠然と南山を見ることはできぬものか。尻尾のない猿どもが剱の穂高のとひしめきあつて、いがみあひ、ねたみあつてゐるのが今の登山界だ。俚諺にいふ「お山の大將」と觀ずればたとへ得て妙だ。」 同誌は各ページ3段組みだが、10月号に使える山関係の新刊紹介が2冊、1段分しかなく、見開き2ページの下2段が空いたため、編集者が穴埋めにひねり出した一文と推察されますが、目下のところ、文体模写という単語の嚆矢であることは確実らしいから、忘れないうちに日国友の会に投稿しておきます。 どうです、家具術的じゃない学術的にも、我ながらまことに親切な行為のつもりだが、日本古本著作権協会あたりは注意人物として私とね、この「本や雑誌にジンギスカン料理はこう書かれた」を監視しているかもね。 ともあれ、そのうち24研の北大路キミコ調のぶっ飛びメールか来たら、ここに追加します。 |
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