新版・現場主義のジンパ学

諸兄姉よ、ジンパの思い出を知らせてくれ給え

 このぺージが単なるミクシィの古い「北大コミュニティ」の再現ではないことを、先ず知ってもらうために、古いジンパセットのチラシを見せましょう。
 下の写真は私の古いUSBメモリーに残っていた北大生協のジンパセットのチラシの写真3枚です。最上段のチラシは2017.8.17.jpgと撮影日らしい名前になっていました。それで、この日に撮影したが、このときに使わず保存したまま忘れていたようです。
 それから13年後の「北大コミュニティ」の「学食の思い出、美味いものを教えてください」というトピックが立ったとき、私は下記のように投稿していました。URLは本記事の先頭で示した150年史編集室の「ジンパの思い出を教えて」のお願いページです。
 
[36] 24研
2020年01月13日 11:49
設定
ジンパあっての北大だ(表面)

 2008年に北大生協が配ったジンパセットの販売チラシが見付かりました。当時は構内どこでもジンパをやれた時代でした。使用後の軍手はどうしたか思い出して下さい。
 序でにジンパという北大語の言いだし時期、飛んでない場所でのジンパなど思い出も書き込んで下さい。作成中の「北大150年史」のジンパ解説に取り込まれるはずです。
 それから、この講義「諸兄姉よ、ジンパの思い出を知らせてくれ給え」のおしまいで、北大生協が肉など食べ物と使い捨て鍋と貸し七輪をそろえ「ジンパセット」と名付けて売り出したことによって「ジンバ」という呼び方が北大全体に広まり定着したという尽波仮説を示すが、このチラシの右上をよく見ておいてほしい。緑色の帯の中に「仲間が集まったらジンパしようよ!」とあり、さらにその下に白色で「ジンギスカン パーティー(ジンパ)」と2カ所にジンパという短縮語を入れている。


 それだけではないんだな、非常に見にくいが、左上の太字の「北大生協名物」に上に細い明朝で「■ジンパ・バーベキュー利用可能時間 月~金:17:00~21:00 土日祝:10:00~21:00」と入っている。ジンパセットという新商品とともにジンパという新語を知らしめようという気持ちが込められていると思わんかね。
 次の黄色のチラシは、もっと明確だ。「仲間が集まったらジンパしようよ」の右上に「北大生協名物/ジンギスカンパーテイー」と2行から転げ出したようなひねり曲線をつけて「ジンパ」という3字を配している。ジンパとはジンギスカンパーティーのことだよと示している。こう事実を頭に入れて続きを見給え。


 この「2008年に北大生協が配ったジンパセットの販売チラシ」の根拠がわからないので、ミクシィの日記を見たら、偶然見つかったらしく、裏表をスキャナー撮りして日記に入れ、フェイスブックにも表の写真を投稿、北大文書館にいずれ持参するとメールを送ったと書いていました。
 それで2008年の根拠は撮影日ではなく、ハードデスクから何かにコピーした日付かも知れませんが、私は恵迪寮百年祭の大合唱の写真を撮り、クラーク会館の食堂で月見うどんを食べて帰宅したと日記にあるので、このとき同食堂かホールあたりで見つけて持ち帰った可能性があります。5人前4200円から5000円、さらに5800円になったころコロナウイルスが猛威を振るったので、およそ2年は休み、令和5年に「4年ぶりにジンパセットの提供を再開いたします。」とうたい、5人分8000円で売り出した。そのチラシは今も下記のURLで見られます。
https://www.hokkaido-univcoop.jp/hokudai/news/news-14488/

 まだほかにあるような気がしたので、古いUSBメモリー内を捜索したら、1枚ではなく1ページありました。それはちょっと変形なので最後に見てもらうことにするが、学外で読んでおられる諸兄姉、見覚えのあるチラシ、ありましたか。
 私のミクシィ「日記」の平成19年9月3日分の中に、札幌市立中央図書館でマイクロフィルムを読み、下記の朝日新聞の記事を見つけたと書いてあります。どうやらジンパセットは5000円から一気に5800円に値上がりしたのではなく、5250円だった時代があったのです。
 行ってみた・やってみた 北海道流の花見
    鍋囲み広がる宴の輪 桜前線と共に北上の旅も
  
 「ジンギスカンにビール」に代表される道内の花見は本州とひと味違う――。東京での学生時代に、花見で酔っぱらって池に落ちた苦い経験をもつ本州出身の記者が、「北海道流花見」を体験しました。  (報道部。北村晃治)
<函館の花見略>
 開花予想が4日の札幌では、花見の前哨戦が始まっていた。
 4月に北大に入学した工学部1年の井上理樹さん(19)は福岡県筑紫野市出身。先々週、クラスメートたちと構内で初めてジンギスカンパーティー(初ジンパ)を体験した。「どんなものかと興味がありましたが、やってみるとみんなでワイワイ楽しいですね」
 北大ではこの時期、開花を待ちきれず、芝生に陣取って「花見」をするグループが見られる。
 「学生さんにとっては花が咲いていてもいなくても、どちらでもいいみたいです」と北大生協の梅田直樹さん(44)。同生協は、七輪、木炭、ジンギスカン用の丸い鍋、ラム肉や野菜、さらにビールまでついて5250円(5人前)の「ジンパセット」を用意。毎年約100セット以上が貸し出されるという。
 「初めて北海道に来た新入生は、先輩や道内出身の同級生から、ジンギスカンの食べ方を花見の場で教わるんです」
【写真説明】上 北海道の花見といえばジンギスカン=4月29日午後、函館市の五稜郭公園で
下 一般の人も利用できるお得なジンパセット=札幌市北区の北大生協で<アルミ鍋、缶ビール、瓶入りたれ、割り箸、宣伝チラシなどが写っている。チラシはジンパセット、5,250円とあるのが読める>
<道内の主な花見どころ略>     (平成16年5月2日付朝日新聞朝刊28面)
 この5800円時代は平成29年を含む数年間だったようです。というのは平成29年5月21日付朝日新聞朝刊21面<道内版>に朝日新聞の天野彩記者による「わがまち〔遺産〕/また北大ジンパ(札幌市北区)」という記事の【写真説明】として「ジンパを楽しむ獣医学部の学生たち」と「北大中央食堂で販売されているジンパセット。5人前5800円で、コンロや火ばさみなどは貸し出しだ=いずれも札幌市北区の北海道大学による」(297)とあるからです。
 また天野記者は「北大中央食堂は『ジンパセット』を販売しており、昨年度は約280万円を売り上げた。約20年前には200セット以上売れた日もあったという。」(297)とも書いています。いつごろか知りたいところですが、多分そのころの帳簿などは残ってないのでしょう。
 それから、チラシの中のジン鍋はいま売られている使い捨てのジン鍋ですね。大抵「アルミ鍋」といっているが、正しくはアルミニウムではなくテンフリー、錫を使用しない表面処理鋼板をジン鍋の形にプレスしたものなのです。大手と見られる関東の商社に発売開始年を問い合わせたら、部外秘で答えられないと断られた。生成AIは明確な資料はないが、1960年代ではないかとのことでした。

以下がミクシィ「北大コミュニティ」の「ジンパあっての北大だ」の記録です。

24研
2007年08月29日 18:34
設定
 北大生向けの講義「現場主義のジンパ学」の尽波満洲男先生の雑用を務めております。
 この講義で、北大名物ジンパセットを取り上げるため、北大生協からご恵贈いただいた「北大生協創立五十年史」(2004年出版)を調べました。
 残念ながらジンギスカン関係は何も書いてありません。それで調査の起点として発売時期が知りたいのです。昭和50年代と思われるのですが、OB・OG各位が記憶しておられることを教えてください。
 たとえば何年入学だが、まだ売っていなかった、売っていた、どちらでも時期を絞る情報になります。また初期はジンパと略さず、ジンギスカン・パーティーと称していたと推察するのですが、用語についても知りたいのです。
 下記URLは、駒井徳三命名説を否定した講義で、補強更新したばかりです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2248/jinpaga13.html

[1] ヒロポン
2007年08月29日 21:20
87年(昭和62年)卒です。
最近は「ジンパ」って言うんですね~
先月20年ぶりにキャンパスへ行って「ジンパセット」なるものの存在を初めて知りました。在学中、私の周りでは「ジンパ」は使いませんでしたし、セットもあまり記憶にありません。
参考になれば幸いですレストラン。

[2] kawa
2007年08月29日 22:22
H7卒です。私もジンバと言ったような覚えがありません。

それにしても、とても面白いことを調査されていますね。私など、北大関係というともっぱら新渡戸稲造氏、そしてその逸話というお固い内容をずっと調べています。mixiではどの程度(まじめな)協力者が現れるかわからないので、大学および同窓生関係にも一度聞いてみてはいかがですか?

http://sharl.haun.org/d/HNM3.html <尽波注=このページは今も読めます。>
あと、ネットのこの記事を参考にしてください。"ジンカン"ともいいますが、北大では"ジンバ"というようです。

[3] 24研
2007年08月30日 04:50
設定
ヒロポンさん
kawaさん

 お答え、ありがとうございました。昭和62年ごろは広く知られていなかった。平成7年ごろはジンギスカスンまたはジンカンであったということですね。
 昭和50年代発売とみたのは、生協某氏を介しての話ですが、年長職員が自分がジンギスカン担当になったときセットは売っていたと語ったそうなので、その人が30年勤続と仮定して引き算したからです。ジンパという呼び方は、平成10年代のものかも知れません。
 kawaさんの集会は平成8年にはアルミ鍋があったという点で、鍋の変遷の手かがりになります。
 ここで皆さんの記憶をお尋ねするのは、名前だけにせよ全学横断で4000人近い人が見る可能性があるからです。同窓会のホームページで聞くのは、学部にもよりましょうが、閲覧率はゼロに近く、得るところは少ないと思われます。記事を書く手間を省き、更新回数が少なくて済む無難な作りを狙うからです。

[4] kawa
2007年08月30日 20:55

>3: 24研さん
お役に立てて光栄です。

[5] 24研
2007年09月05日 17:25

 単語ジンパについて調べてみました。朝日新聞では平成16年5月2日付朝刊28面(北海道版)が初めてとわかりました。一部ですが、下記のように書いてあります。

 4月に北大に入学した工学部1年の井上理樹さん(19)は福岡県筑紫野市出身。先々週、クラスメートたちと構内で初めてジンギスカンパーティー(初ジンパ)を体験した。「どんなものかと興味がありましたが、やってみるとみんなでワイワイ楽しいですね」

 ジンパセットについても上記記事に「同生協は、七輪、木炭、ジンギスカン用の丸い鍋、ラム肉や野菜、さらにビールまでついて5250円(5人前)の「ジンパセット」を用意。毎年約100セット以上が貸し出されるという。 」と書いてありました。
 外の新聞雑誌類は未調査なので、これが単語としての初出例とは、まだいえません。

[6] むー
2007年09月05日 18:22

平成4年入学ですが、「ジンパ」と言う言葉は入学した頃から使われていました。
生協に学生証を持っていって借りた七輪を使って、中央ローンでよくやりました。
生協が閉まってからは、北13条あたりのセイコーマートで、ブロックの肉を買って夜遅くまで続けましたよ。

[7] kawa
2007年09月05日 21:17
設定
>6: むーさん
こんばんは。kawaです。はじめまして。
セイコーマートでラム肉(?)のブロックでしょうか。懐かしいお店情報ありがとうございます。

> 5: 24研さん
金額までありがとうございます。生協で年間100セットですか? 本当は笑ってはいけないのでしょうが、書いてある内容を見ていて構内のあちらこちらでもくもくと煙が上がり、鍋をつついている様子を想像し、思わず笑ってしました(ごめんなさい)。
貴重な情報を拝見させていただき、ありがとうございました。

[8] 24研
2007年09月06日 03:18

 むーさん、平成4年ですか。スゴイですね。昭和からの可能性が見えてきました。新入生の場合、同級生よりも新入部員の歓迎コンパ、いや歓迎ジンパで覚えることが考えられます。
 道新の新聞データベースを個人で見る場合は、最低3カ月間オーロラネットと契約させられるとわかりました。いずれやってみますが、道新の歴代北大回りが真面目に取材していたかどうか。1件も出ないかも知れません。
 小生が保存していた平成15年の生協チラシをお目に掛けます。現物はありませんが、jpgで残っていました。
<黄色のチラシの写真あり>

[9] にっこり@稼ぎ時
2007年09月06日 12:49

昭和61年頃入学ですが、その頃にジンパという言い方があった気がします。アルミ鍋も出始めていた気がします。肉がひっついて実用性には著しく欠けていたと思いましたが。

僕は北海道出身で今横浜在住ですが、ジンギスカンの味は忘れられず、昨年には鍋を購入し、時々食しております。あとは北海道並に一家に一台ジンギスカン用コンロがあれば良いのですが。

[10]欠番 書き込み者が後日削除したらしい。

[11] 24研
2007年09月06日 15:56

maksさん

 昭和61年ごろにはジンパという呼び方があったのですか。ぐいぐい伸びてきましたね。恵迪寮関係の思い出集とか、部報のような文書に書かれたものをご存じないでしょうか。そうした物証をもとに小学館の日本国語大辞典にジンパを加えられれば面白いですね。
 尽波さんは日国友の会の会員で、投稿カード一覧で「ジンギスカン鍋」と「成吉思汗料理」の古い用例を示し、里見弴の「満支一見」に用例があると投稿した「成吉思汗料理」は、既に精選版日本国語大辞典に取り入れられています。「成吉斯汗鍋」の用例も断然他を引き離す古さなので、いずれ大辞典の3版に採用されると思われます。
 URLは下記です。
http://www.nikkoku.net/tomonokai/index.html

[12] にっこり@稼ぎ時
2007年09月06日 20:21

分署では残念ながら残っているものは存じません。個人的にも大学時代の文書で残っているものはないですねえ。

[13] りんくま
2007年09月07日 23:40

はい!たしかに、昭和62入学の私の時代も「ジンパ」という呼び方はありました。セットがあったかどうかは記憶していませんが(大学院生時代は間違いなくあった)、当時から、北大生協の組合員証とひきかえに、七輪を借りることができました。

もやしなど、ろくに洗わずに袋から鍋に直接投入した危険?な記憶も…

あ、すみません。ちょっと脱線してしまいました…(笑)

[14]欠番 書き込み者が後日削除したらしい。


[15] 24研
2007年09月08日 06:49

 りんくまさん、ありがとうございました。maksさんの情報と合わせて昭和60年代には七輪貸しの制度があったことは確かだと思われます。
 となると、単に七輪だけ借りても仕方がない。まず木炭とそれに火をつけるなにかが入り用です。当然、生協で売っていたはずですね。生協は木炭と火付け材を売らんがために七輪を貸していたはずです。
 りんくまさんの「組合員証とひきかえに七輪を借りる」というのは新しい情報です。なにか担保を取らないと七輪を理学部横あたりにほったらかして帰ってしまう例があって、編み出された制度なのでしょう。
 こたつや火鉢で炭の扱いには慣れた小生どもと違って、熾になった炭の処理に困り、いきなり水を掛けるので七輪がすぐ壊れるというぼやきを、以前生協の関係者から聞いたことがあります。
 もやしを直接投入した思い出の鍋もアルミでしたか。それから芝生の傷みを防ぐために七輪の下に敷く板のようになものはどうでしょうか。
 尽波さんは鍋の変遷も調べております。戦後、ジンギスカンがまだ流行っていないころ、羊肉を買ったお客に鍋を貸し出い精肉店がありました。新聞広告でそうした店がいくつかわかるのですが、スーパーに負けたのか現存していません。
 初めはすき焼き鍋を貸したという肉店を1軒知っていますが、ベルとソラチという両タレ製造元がタレを沢山仕入れてくれるおまけに提供した鍋と自店で買いそろえた鍋を貸していたのです。前者はマークからわかりますが、ある程度残っており、鍋コレクターの収集対象になっています。昭和30年代初めの話です。

[16] シトロネラ
2007年09月08日 10:56

昭和62年4月入学、平成3年3月卒です。
「ジンパセット」ありました。
そのおかげで「人材派遣」を「ジンパ」と略した用語を聞くたびにジンギスカンが頭に浮かんで困りました。

ワタシの頃は肉を買うと生協で七輪を貸してくれる式でした。
肉はラムではなくマトン。当時100グラム48円程度でした。円筒形にカットされた肉塊をスライスしたもの。

ちなみにラムは生後1年以内の羊肉、マトンは生後1年以降ですね。羊は生後1年程度で独特の脂が付き、その匂いが独特なため、生後1年未満と以上で値段に差が出ます。
また牝は育てて毛を取り、子を産ませるため、ラムはほぼすべてが牡の肉です。

学生がアパートからワンルームマンションに住むように代わり、機密性が高いワンルームマンションでは匂いがこもるため、アパートに「ジンパ禁止」条項が明文化されたのも私たちの頃ではないでしょうか。

アルミ製ジンギスカン鍋はありました。
石黒ホーマ(現ホーマック)のチラシにも、時期になると1枚100円で広告が出ていました。

花見にジンパ、というのが定番。
中央ローンで5月にジンパ、というのも日々行われていたように思います。
ワタシの居た研究室では北海道神宮、円山公園にジンパに言った記憶があります。

最近は内地でもラムなら売るようになって、時々買って食べますが、やはりあのマトンの強烈な匂いが忘れられません。

[17] りんくま
2007年09月08日 19:24

24研さん

はい、アルミ鍋(使い捨て)ありました。
木炭と炊きつけは買ったように思います、学生生協で。(笑)
下に敷く板はあまり記憶はありませんが、芝生にそのまま載せると安定感がないので、何か敷いた記憶はないわけでもないです。これが貸し出されていたかどうかは、記憶にないです。。。(無念)

お肉はロール肉でした。ということは、シトロネラさんによると、マトンということですね。自宅で(私は札幌が実家)食べたときも、当時はロール肉が定番でした。いまはやりの生ラムなんて、松尾ジンギスカンのたれ付のパックじゃないと口に入りませんでした。(笑 あれって生ラムだった、はずなんですが、やはり記憶が定かではなく…)

ちなみに実家で食べるときは、ジンギスカン鍋(鉄製?)がありました。最近は、ホットプレートですが…。

[18] 24研
2007年09月10日 00:53

シトロネラさん
りん くまさん

 ジンパ情報、ありがとうございました。
 昭和62年ごろ「ジンパセット」あり、アパートに「ジンパ禁止」条項が明文化、円筒形にカットしたマトン100グラム48円程度、ロール肉が定番―ということにより、だいぶ探す範囲を絞られました。
 10日に道新データベースの利用申込みの手続きをとりますが、その結果については後日、ここに報告します。小生の知り合いの法学部OB某氏の鍋コレクションの一部をお目に掛けます。OBではないけれど、STVの明石英一郎アナもコレクターだそうです。
<古いジン鍋5枚の写真有り>

[19] kyon
2007年09月10日 01:02

既に同年代の方が書いておられますが、平成4年3月学部卒の私も「ジンパ」という呼び名の記憶があります。
ただ、私はお相伴にあずかる方で開催(?)したことは無かったため、必要な道具や材料をどのように調達していたのかはわかりません。

文学部前の芝生でジンパをやって、ナイアガラ続出だったため禁止令が出たにもかかわらず、無視してまた開催していたことを思い出しました。

[20] りんくま
2007年09月10日 01:27

>24研さん

わあ!実家で使っていた鍋に似ていたのがあります!
すごいコレクターですね~!
ありがとうございます!

[21] にっこり@稼ぎ時
2007年09月10日 10:27

24研さん

私も恵迪寮出身なのですが文書は残っていないと書きましたが、本気でご調査されるなら寮自治会にあたってみてはどうでしょうか?過去の寮内誌バックナンバーとか保管がもしかしてあるかも。

あと、じんぎすかんの地方差を調べるというのも面白いでしょうね。ウドンを入れるのは北大ではじめてやりました。

シトロネラさん りんくまさん

肉は確かにロール肉でしたが、「マトン」ではなく「ラム」であった記憶があります。私は北見の出身で高校卒業まではだいたい味付けマトンが定番でしたが、北大に来てラムをタレでつけて食べるというやりかたに触れ、新鮮であった記憶があります。

なお、現在関東にて北大の人とジンギスカンの話になるとロール肉でなく「筒肉」という言い方をよくしますね。

[22] りんくま
2007年09月10日 12:51

maksさん

「ロール肉」でなくて「筒肉」なんですかっ!
発見…

もっとも、「ロール肉」という呼び方をみるようになったのは、ここ数年のことです。(北大に勤めているわけではないので、私の周りの、という意味ですが)

私は学生時代、どちらの呼び方もせず(笑)、あれがジンギスカン肉のすべてだと思っていました。(笑)

でも、一方で、自宅では松尾ジンギスカンのたれ付肉もあったわけですが、なぜかその矛盾(?)にはまったく気づかず、ジンパのときにはロール肉(当時は、ただ「肉」と呼ぶのみ(笑))を当たり前のように購入して美味しく食べていました(笑)。
当然、ラムかマトンかなんて、考えず…(笑)
冷凍されたものだったので、よけいわからなかったのかしら?

[23] にっこり@稼ぎ時
2007年09月10日 14:10

りんくまさん

正しい呼び方はロール肉だと思いますよ。それをふざけてというか、「筒肉」という言い方がなんとなく面白おかしいので、筒肉と言っているだけです(^^)

ラムとマトンの区別は僕は在学中にはついていましたが、高校時代までの地元では間違いなく、タレ漬け込み型マトンでしたね。固くてクセのあるマトンを美味しく食べる先人の知恵だと思います。

[24] りんくま
2007年09月11日 10:22

maksさん

そうだったのですかあ。(笑)
ご解説ありがとうございます!
「筒肉」のほうが、なんか、こう…インパクトありますね。(笑)

個人的には、漬け込み型よりも、筒肉(笑)をはがしながら焼いて、ジンギスカンのたれにつけて食べるの好きです。(笑)

あ、トピ主さん、すみません。
話ずらしてしまった…。(食べ物ネタに弱いもので…(笑))

[25] 24研
2007年09月11日 13:50

 りんくまさん
 maksさん

 尽波さんの講義の一節に下記のようにあります。
 
 明治10年3月、クラーク先生は「札幌農黌第一年報」をまとめ「日本国ノ農業ハ大ニ其趣ヲ修整セザルベカラズ」とおっしゃっています。「牛馬ハ之ヲ耕転及ビ■牽ノ為メニ要シ良好ノ乳牛ハ之ヲ製乳、牛肉仔牛肉、及ビ生皮ノ為メニ要シ羊ハ之ヲ羊毛及ビ羊肉ノ為メニ要シ家豕ハ之ヲ猪脂及ビ猪肉ノ為メニ要スル」(1)。いいですか、羊は羊毛と羊肉のためにあるのだと。
 ジンギスカンの話はばんばん続けてください。そのうちにジンパ、ジンパセットで思い出す人も出るでしょう。恵迪寮の文献のヒントを求めかたがた、恵迪百年記念祭の宣伝を勧めたことがきっかけで、いささかの代行なのに、書き込みの形式上、企画者になってしまいましたよ。
 道新データベースは来月から使えるよう手続きしました。もうしばらく結果をお待ち下さい。

[26] シトロネラ
2007年09月11日 14:02

>maksさん
ラムでしたか。ラムとマトン両方あったのかな?
ワタシが買出しに行ったときにGケースに並ぶ肉の値段を見て、100グラム48円とか38円とかの値段に、迷わずマトンを買っておりました。
当時は鶏肉でも100グラム当たりムネ肉の特売だと48円、モモ肉だと58円くらいが相場でしたので、特売でも88円もする豚肉などには目もくれず、鶏かマトンばかり食べておりました。
もちろん、100グラム特売の切り落としですら98円もする牛肉は論外。すき焼きのときにしか買いませんでした。

[27] シバッチョ
2007年09月11日 22:52

あまりの懐かしさについついコメントを。
H7~11まで在学でしたが、「ジンパ」とは称しておりましたね。アルミの鍋もセイコーマートで売ってましたし。セコマは道民向けアイテムが充実してましたね。
寮生で農学部でしかも北大生協に関与してましたので、ジンパはしょっちゅうです。
当時は金属(ブリキ製)の七輪もあり、生協のあらゴミ捨て場から廃棄処分の七輪をひろってきてマイ七輪にしてました。
肉と言えば環状通りのビッグハウスで特売をゲットですね。雪の降る中、水蒸気で良く見えず、生焼けの肉を食ったのも良い?思い出です。
皆さんの調べものの一助になればと。

[28] りんくま
2007年09月12日 20:35

24研さんのお言葉に甘えて…(笑)

食べたいなぁ。
おなかすいてきました…(笑)

そういえば、義経(クラ館裏)で一人ジンギスカンしているおじさまを、はるか昔の学生(院生)時代にみたような気が…。
いつか義経で一人ジンギスカンに行こうっと…。(笑)

[29] 24研
2007年09月17日 03:36

 戦前のロストル型のジンギスカン鍋がめったに見られないのは、戦時中の金属回収のせいだと思われますが、ジンギスカン鍋もお国のためにと供出されたというような記事が実在するかどうか。
 市立中央図書館に行き「昭和ニュース事典」を見ました。昭和14年2月の政府関係の不急鉄製品の回収から始まり、昭和16年に釣り鐘など銅・鉄約1000トンを献納したとありました。それで、まだ北海タイムスだった昭和16年9-10月の道新をざっと見たところ、マイクロフィルムがすりきれて記事はほとんど読めないのですが、見出しで読む限りでは、まだ、鍋釜も出すところまではいっていませんでした。

[30] 24研
2007年09月20日 03:38

 ロール肉のことです。2003年2月に出た「輸入食糧協議会報」に兼松株式会社穀物部穀物課の秋山誠一郎氏が書いた「羊とジンギスカン」によれば「ビール園などで出てくるジンギスカンは決まって丸い冷凍肉ですが、これがラムロール(マトンロール)とよばれるものです。スーパーなどで手に入るのもたいていこのロール肉です。」と書いてありました。多分プロはマトンロールとかラムロールというのでしょう。
 同会報は数年前、院生だった某君からもらったものです。彼はmixiを見ているかな。

[32] 24研
2007年09月23日 03:43

 9月22日開かれた恵迪百年記念祭で集まる元寮生諸氏にジンギスカンセットのことを尋ねてみようと、午前中にブラーカードを自作し、昼過ぎからクラーク会館前にいた寮史・恵迪寮グッズ売りの現役諸君のそばで呼びかけてみました。恵迪寮同窓会総会、記念式典、記念講演が同館で続けて開かれるからです。
 赤い目立つネームカードを首から下げた人たちが次々と会館にやってくるので、きょうの参加者だろうと思い、昭和50年代はいませんかと声を掛けたのですが、みな素通りです。だいぶたってから、それらは物理関係の学会出席者とわかりました。変な顔をされるわけです。
 何人かと話しましたが、ジンギスカン関係で最古は昭和38年に北大生協から肉を買って十五島に行き、ジンギスカンを食べたはずという思い出を聞きました。その生協のそうした販売部門はクラーク会館の地下にあったそうです。そうなると、札幌などで羊肉を買った客に肉店が鍋を貸すサービスをしたように、生協のジンパセットは貸し鍋から始まったことが考えられます。
 また、その方と同年代と思われる方は、ジンギスカンはよく食べたが、寮の近くの肉屋から買っていたので、生協の方はよくわからないということでした。確かに北18条あたりからでは無理もないと思いました。
 それから帯広出身で横浜からこられたS氏です。北大工学部を含め7大学を出た方で、自宅にロストル型の鍋があるはずだというので、ぜひ確認してほしいとお願いしました。同氏は、そのほか同氏所有の恵迪寮関係などいくつかの物品をは大学文書館に収められるべきもののようなので、お節介をすることにしました。
 写真は岡山からこられた文学部OGに撮ってもらったものですが、やはり少しオカシイ人として敬遠されたのでしょうね。また別の手を考えることにします。
<クラ館近くで「ジンギスカンのことを教えて」などと書いたプラカードを持って立っている24研の写真付き>

[33] 24研
2007年09月23日 04:01

シバッチョさん

 「当時は金属(ブリキ製)の七輪もあり」ということは、陶土製の七輪が主流だったけれども、火を消すのにいきなり七輪に水を掛けたりして壊されるので、ブリキ製も導入したということでしょうか。
 普通のバケツの側面に大きな穴を開けたコンロは岩手県遠野市にある安部商店のもの(下記URL)が知られていますが、どんな形のものだったのでしょうか。
http://www.anbe.jp/sub235.htm
 そのあたりをもう少し詳しく教えてください。小生は陶土製ばかり使ってきたと思っていました。

[34] kawa
2007年09月24日 20:04

kawaです。やり取りを見ていて、真剣だと感じました。

>24研さん
せっかくなので、この場でジンバセットの歴史をまとめてみてはどうでしょうか? 簡単に年表形式でお願いします。 
あとは特に生協、あるいは大学周辺のコンビニでの販売状況も調べてみるとよいですね。大学周辺のどのあたりまで、販売しているのかも知りたいです。フィールド調査も行っているみたいですし。ぜひご検討ください。

[35] 24研
2007年10月02日 18:01

 昭和63年からのデータがある道新データベースで「ジンパ」で検索したところ、65件出ましたが、ほとんどがバージンパルプかエンジンパワーで、小生の探すジンパは2件でした。
 ずばりジンパが出てくるのは、平成16年5月24日付夕刊の「ゆうたうん」です。北大構内を見る市民ツアーで學生ガイドがジンパをやっているサークルを見て「『ジンパ』と呼ばれています。道外出身の北大生は羊の肉が苦手」と話したとありました。
 2件目は同年6月21日付朝刊1面の「卓上四季」で「『ジンパ』と最近の若い人は言うそうだ。何のことかと思ったら、羊肉を鉄鍋で焼くあのジンギスカンを楽しむパーティーの略称だという。それならこっちは何十年も前からやっている<略>」と出ました。
 
[37] 24研
2016年07月17日 02:30

 24研です。ここへの話題提供は永く途絶えておりますが、ジンギスカンの調査は続けております。下記は平成28年春の「北大東京ジンパ」公式パンフレットに掲載された原稿とほぼ同文です。年表代わりにご一読ください。
 なお「現場主義のジンパ学」はジオシティーズからビッグローブへ移転しております。

日本人は舶来品並の毛織物を作ろうと綿羊を飼い始めた。幕府が飼育を勧め、金沢兼六園が今の形になる前の1時期、拝領した綿羊の小屋があった。だが食料にもなると気付いたのは1859年の開港。幕府の箱館奉行への通達「外国人ヘ売渡ノ牛・石炭其外諸品値段ノ件」には1頭大銀銭4枚から7枚とあり、南部藩も綿羊を売ろうと相談にきた。開拓使顧問ケプロンは最高級の肉となるサウスダウン種80頭と短角牛40頭を発注、エドウィン・ダンは羊に付き添って来日した。クラークは「羊毛及ビ羊肉ノ為メニ」緬羊を飼うなら中国羊よりカリフォルニア産にせよと札幌農黌年報に書いた。第1次大戦で羊毛の輸入が途絶、政府は100万頭飼えば軍隊と国鉄と警官の制服が揃うと自給計画の実現に乗り出した。毛に加え肉も売れるとなれば、当然農家が羊を増やし羊毛増産になると奨励する傍ら、国民に羊肉を牛豚肉と同じように食べる習慣付けをしようと農商務省がうまい羊肉料理の研究を東京女子高等師範に委託した。ジンギスカンの原型は中国のカオヤンローだが、同校講師一戸伊勢子が1922年に発表した和風のカオヤンロー、羊肉の網焼きが我々のジンギスカンの先祖だ。鍋も中国発祥だが、北京の薪を焚く焜炉に掛ける大判の鉄帯鍋ではなく、旧満洲・東蒙古の牛羊糞をくべる焜炉用の鍋だけを日本の七輪用に縮めて作り出した。里見弴の「満支一見」で北京正陽楼でのカオヤンロー体験を読んだ久保田萬太郎らが鎌倉で試食会を開き、その世話をした日本橋の京蘇菜館濱のや主人富山栄太郎は自店のメニューに加え1931年「北京正陽楼の豪快味を写す帝都唯一の店」と文藝春秋に広告を連発し、待遇改善を要求して大井春秋園に籠城した天龍ら力士32人は2回ジンパをやって気勢を上げた。名前は1913年北京で食べた満鉄総裁中村是公が成吉斯汗時代の鋤焼鍋と大連のVIPに馳走したことから満州日日新聞に名詞成吉斯汗鍋が現れ、翌14年には3回使われた。北京では時事新報特派員鷲沢與四二と大陸浪人井上一葉がカオヤンローは2000年前と同じ喰い方だからと二千歳と命名。後にある会合で蒙古でも同じ食べ方をしたという話から、蒙古にもあるならならジンギスカンだと改めたと「食道楽」に中国通中野江漢が書いた。当時北京にあった邦字紙新支那の全号閲覧ができないため北京の状況がつかめず満洲渡来説が稍優勢。北大ジンパも発生時期は不明のままだ。情報を求めて北大生協史を読み、恵迪百年記念祭にも入ったが空振りだった。「焼肉の文化史」を書いた佐々木道雄は俗説は繁栄すると喝破したが、駒井徳三命名説はその好例。ホラ吹き男S、それを広めたYとTの3人とも北大OB。諸君も駒井説を広めているのではないか。道新が未年に「探偵団がたどるジンギスカン物語」で北大ジンパを無視したのに怒り、以来ホームページ「現場主義のジンパ学」で研究成果を公開中。


 4200円セットについて
 以下は最上段の4200円チラシの表面にある宣伝文とその説明です。 ■ジンパ・バーベキュー利用可能時間 月~金:17:00~21:00 土日祝:10:00~21:00
  ■場所と時間を守って楽しくやりましょう!
北大名物
  芝生の上で仲間と七輪を囲んでジンギスカン、これぞ北大スタイル!
   ジンギスカン パーティー(ジンパ)
とってもジューシー♪
  生ラム               <小さな写真2枚>
  ジンパセット<大きな赤い字>    写真はイメージです
  1セット
  5人前で
税込                 ご注文は3日前までに
 4,200円<大きな白い字>    はるにれ食堂または食堂各店へ
ワリカンすると            北大生協ならこんなに便利!<弓形の青帯>
 一人分   税込み840円!!   ●あちこち買い出しに行かなくても、生協に
缶ビール付きでも           予約すれば全部そろっちゃう!
税込み5,500円でOK!      ●時間に合わせてはるにれ食堂に取りに行け
                   ば、すぐにジンパができちゃう。(お支払い
                   はお渡し時に!)
                   ●取り皿や割り箸も人数分だから、無駄にな
                   らないよ。
                   ●ゴミ袋まで付いていて、後片付けもバッチ
                   リ。
                   ●当日に雨が降ったときには、ちゃんと連絡
                   してもらえば延期もキャンセルもOK。(
                    おにぎりのキャンセルはできません。)
                 ただし、必ず「はるにれ食堂」にご連絡ください
   
  5人前セット(ビール付き5250円)の内容は
七輪(貸し出し)         1台     ジンギスカン鍋 1枚
木炭 1 Kg                  取り皿 5枚
生ラム肉(冷凍ラムは1.8Kg) 1.5Kg  割り箸  5本
カット野菜
(キャベツ・ピーマン・オニオン) 5人前    着火剤  適量
もやし      5人前            ごみ袋  適量
ジンギスカンのたれ        1本     軍手   1双
北海道限定                   マッチ  適量
クラシックビール500ml缶   5缶     うちわ  適量
紙コップ                    火バサミ(貸し出し)適量
(ビールなしの場合はつきません) 5個 
<上記の表の右側>
冷凍ラムに替えることもできるよ!
冷凍ラムなら
 5人前1.8:Kg
<お握りの絵> OPTION
オプションでおにぎり(梅・鮭)もあるよ!
  税込各100円
※おにぎりのキャンセルは
出来ませんのでご注意ください。
                         サーバーから注ぐ 
大人数のジンギスカンには  サッポロ黒ラベル   生ビールの味は最高?
樽生が               クラシック  <薄黄色で見えにくい> 
オススメ          サーバー用
              氷付き  10リットル 樽 7,000円
ご注文は
3日前
までに  はるにれ食堂 TEL・FAX 717?0227 学内内線 5133
     または、食堂各店へ *はるにれ食堂以外でのご予約の場合は、後ほど確
     認のお電話を差し上げます。
■ジンパ・バーベキュー利用可能時間 月?金:17:00?21:00 土日祝:10:00?21:00 ★北大の美観と芝生を守りましょう
 未成年者の飲酒は禁じられています 未成年者が参加するコンパでは
   ・周りの方は、未成年者に飲ませることにならないよう気をつけましょう。
   ・主催者の方はソフトドリンクの準備を忘れずにしましょう。
※本チラシの有効期限は2008年12月末日ですが、期中にて価格改定の場合は御注文時に必ずお伝えいたします。

 裏面は申し込み用紙になっており、団体名、責任者の姓名、住所、携帯の番号、開催場所なども書くようになっています。
 ここまで紙のチラシについて説明してきましたが、はるにれ食堂は商売熱心?で、ホームページを開いて宣伝したようです。というのは、私の古いUSBメモリーにその宣伝ページに使ったとみられるパーツの画像コピー17点が残っているからです。
 私はそのホームページをそっくりコピーして保存したらしいのです。古いUSBメモリーに残したGIF画像の多くは壊れて読み出せなくなっているので、このホームページも保存中に壊れたようで、土台上に載せていたとみられる部分品だけがメモリーにあるんでしょう。
 その中で最重要な情報は、ジンバをやってもよい場所の略図ですね。A地点は農学部とクラーク会館の間の空き地。その昔、農学部から西側向かって木造2階建て1棟と平屋の教室棟、クラーク像に近いところには中央講堂があった。B地点は理学部南側を示してします。つまり4200円時代は、両地点で鍋を囲めたが、後にA地点が禁止になったか、不人気で使われなくなったかで、B地点オンリーみたいになったのでしょう。この辺の事情は未調査ですが、この指定終了年月がわかれば、この4200円時代の終了時期がわかるはずですよね。
 それからチラシ表面の4200円の左上に「税込」、さらに上に「生ラム」が配置されているが、ホームページでは「生ラム」を「税込」の位置まで下げ、チカチカ点滅する髭模様で囲んでいました。
 それらを私は別ページで見せることにしたので、ここ「はるにれ食堂」をクリックしなさい。
 北大生協の「ジンパセット」と学生語の「ジンパ」が、いわゆる〝持ちつ持たれつ〟みたいな関係になり、ジンパという呼び方を広めたことが感じられないか。まあ私個人の勝手な見方かも知れないがね。
 ともあれ社会に出てからジンパを食べたかと尋ねられたとき、食べたよと答えるだけでなく、このジンパを作り出した我らが緑の学風について講釈してほしい。高校生は減る一方なんだから、志願者確保にも役立つことなのです。


何もないはずなんです。
 文献によるジンギスカン関係の史実考証という研究の性質上、著作権侵害にならないよう引用などの明示を心掛けて全ページを制作しておりますが、お気付きの点がありましたら、まずは
 shinhpjinpagaku@gmail.com 
尽波満洲男へご一報下さるようお願いします。



    参考文献

******************************