はい、ここに昭和8年から15年までの満鐵新京駅発の観光・行楽列車、いや新京市内からのバスに乗っての行楽団体と釣りなど類似の行事もかなり混じってますがね、その参加者募集と実施状況を書いた新聞の見出しと記事を集めておきました。
最初は新京から公主嶺往復の納涼列車だけと気安く調べ始めたのですが、行き先不明列車とかバスによる近郊ツアーも始まったので、公主嶺に行かない列車も全部記録しておいて、後で区分けすることにしたのです。この一覧では公主嶺関係の記事は薄緑色にしたのでわかりやすいでしょう。
満洲全体のジンギスカン料理の普及状況を知るために読んだ明治40年代の満洲新報の記事が6本、先頭に入っています。ずーっと読んでもらえばわかるのですが、団体旅行の回数が重なるにつれて参加者募集などの記事が定型化していきます。それら古い記事はそうなる前の書き方はこんな風だったというサンプルといえます。
戦前の満洲で発行された邦字紙は10紙ありました。原紙なら明治40年の満洲日日新聞も国会図書館にあるのですが、満鐵が生まれる前ですから調べても仕方がない。いまマイクロフィルムで読める紙面では明治41年6月9日の満洲新報97号より古いのはないから、これらは満洲に於ける旅行団体募集の記事の元祖クラスなんですなあ。ふっふっふ。
新京日日新聞を調べた理由は、講義で話したように昭和9年から満鉄公主嶺駅員だった磯野利男さんの夏は新京から公主嶺のジンギスカンを食べにくる団体列車が走ったという思い出を確かめるために、新京で発行された新聞として選んだ。たまたま大新京日報を見たら新京日日で扱っていない行楽団体のことが載っていたので、ざっとでも大新京も見てできるだけ集めました。
最初は磯野さんの思い出に合わせて昭和9年から調べたのですが、念のために昭和8年の夏を見たら、公主嶺行きの初の臨時列車の記事があった。それなら国会図書館には昭和8年1月1日から15年10月31日まで新京日日のマイクロフィルムがあるから、いっそ全部見たら新京におけるジンギスカンの普及ぶりもわかるんじゃないかとね。週に3日は通って本当に国会図書館には大変お世話になりましたね。
ところで、その初の公主嶺行き臨時列車だが、ただ新京から急行を走らせるから、よかったら乗りなさい。帰りは普通列車でというダイヤで、しかも20人まとまるなら団体割引があるよというだけの無愛想なものです。
昭和8年からの新京日日を読んでわかったのは、そのころの満鐵新京駅の商売っ気のなさですね。新京駅が市民を集めて行楽地までの運賃を稼ごうという気になったのは、昭和9年の春からだと言えます。その皮切りが昭和9年5月6日に新京をたって大連に花見に行く観桜団からでした。
それまではジャパン・ツーリスト・ビューローが新聞に広告を出して行楽客を集めていたのです。以後ビューローと略しますが、後の交通公社、いまのJTBね。この大連観桜団体は、新京駅と共催になったですが、客集めが心配だったようで、それまでの集客法のままで、ビューローが3回も広告を出しています。
それに駅かビューローかわかりませんが、新京日日新聞社に旅行の後援を依頼したのですね。後援といっても新京日日はお金は出さず、ただ記事として夕涼み列車という催しがあるよとか、乗ってみたらこうだったと書くだけなんですね。新京日日側にすれば、満鐵、ビューローと肩を並べる大新聞社という印象を読者に与えられるし、旅行好きにとっては必読の新聞になり、部数拡張につながるメリットがあるわけです。
それで3者一体となった昭和9年の大連行き花見団体は、募集するというお知らせから無事終了まで記者の観桜同行記を含む記事7本が掲載された。その前年の昭和8年は、花見団体の運賃は5割引になるよという記事がたった1本でしたから、激変ぶりがわかると思います。
ビューローにしても、新京日日が記事に取り上げてくれれば、わざわざ同じ団体募集の広告を出さなくて済み、経費節減になりますよね。この大連観桜団の客集めで新京日日の後援効果がわかったので、ビューローはその後、ばたっと広告を出さなくなりますから現金なやつ、はっはっは。
行楽団体以外の満鐵関連の記事を見ていくと、お花見シーズンと並行して満鐵出入りの記者による記者倶楽部の結成があります。5月4日に新京鐵道事務所に出入りする新聞記者たち7人が公主嶺よりもっと南、奉天に近い鐵嶺という土地の龍首山視察に招かれたのです。
新京日日からは中島記者が参加して龍首山の視察記に「<略>終日の山水探勝で疲れ切つた足も一浴後、並木の下を浴衣で散歩すれぱ消へ去り、夕げの宴に歓談時の移るを忘れ終列車に身をまかせ五日午前六時一同元気で帰京(中島生)」(1)と書いています。
また別に鐵嶺景勝維持会の龍首山の国立公園指定運動(2)を紹介した記事があります。署名はないけど、書き手はやはり視察に行った中島記者でしょう。鐵嶺の有志は新京組より先に、奉天の新聞記者団も視察に招いており、龍首山売出しを図っており、そうした地元の熱意を認めて書いたとみられます。
鐵嶺から戻った中島記者は、すぐこれら2本の記事を書いて5日午後4時半出発の大連観桜団に加わったのですから、馬力ありますよね。附録その1の大連観桜談同行記に「各駅、食堂車から特に分けて頂いたお茶の接待至れり尽せりのこのサービスはひとへに感謝あるのみで、一行に代つて新京駅、各駅、ピユーローに対して厚くお禮申したい」と書いているくらいVIP扱いされ、また新京駅とビューローの付添員と親しくなったと思われます。
付録資料その1
(1)星ケ浦観櫻團
賑かに出発す
一行流石に大燥ぎ
桜咲く憧れの大連へ、本社後援ジヤパンツーリストビユーロー並に新京駅主催の大連星ケ浦観桜團男女五十名は豫定通り五日午後四時半新京駅を出発した、この日百花繚乱の便りに一行流石に包み切れぬ歓びを見せ、多数見送りの裡にビユーロー岡本氏、新京駅岡本氏、本社中島記者ら附添ひ万歳声裡に賑かに出発した一行は六日午前七時四十分大連着、直ちに貸切電車で星ケ浦へ直行し観桜御馳走券引換のうへ自由解散、心ゆくまで観桜気分にひたつて同日午後八時半大連駅集合七日午後一時五十五分新京着の豫定である
(2)観櫻列車で
星ケ浦の櫻を探る
本社記者 中島生
新京駅、ツーリストビユーロー主催、本社後援の大連星ヶ浦観櫻團一行四十三名(うち満州人十四名)は五日午後四時三十分新京発急行列車第一輛に陣どつた、胸に桜の團章をつけ車窓には團旗を翻し團員家族、駅員、案内所員、本社員多数の見送りをうけ、本社写真班のカメラにおさまつていよいよ烈風と黄塵の新京に数日のおいとました
▽……△
ピユーローの岡本旅客主任からひと通りの旅行プラン、注意など團員にいひふくめてから、同氏及び駅の吉村係員から辨當、観桜酒、福引の引換券の交付を終へ、お茶の接待車内では談笑、余興などで早くも花見気分百パーセントである、范家屯、公主嶺の杏花は新京人の目にまづ第一の慰めとなつた、双廟子ではやうやく満洲の夜のとばりがおろされた、広漠たる平野も闇にほうむられた、うつらうつらの間に夜はあけて、南満の都市花の都大連についたのが六日午前七時四十分
▽……△
こゝにはツーリスト、ビユーロー大連案内所の釘抜旅客主任その他駅員の歓迎あり、一行は直ちに大連日本橋電車停留所まで徒歩でゆき、ビユーローで手配した貸切電車に乗り込んで星ヶ浦に直行、その間釘抜氏の市内案内はかゆいところへ手がとゞくやう、例の勝美夫人事件を裁いた大連地方法院の説明などは一同腹をかゝへて爆笑、やがて目的地星ヶ浦公園に到着、花にまさに見ごろの四分通り咲きそめて、暑からず寒からず、遠く霞める星ヶ浦は花を満喫するに十二分である十五萬坪のゴルフ場、三十三萬坪の遊園地、そのあひ間あひ間に数百本の桜花が緑滴る松葉の中に點々として我々新京からの珍客を待つてゐたかのやうである、ここで食券、宴酒券、茶菓券と引換へに辨當、酒肴、菓子をうけ取つて思ひ思ひに花をむさぼつた
▽……△
満洲の瀬戸内海を縦走する白帆は點在する、大島、小島に姿を消し、海中に突出る岬に打ち寄す波は海浜の砂を洗ひ山あり、花あり、海あり、松あり、これ絶景の萬分の一でもわがこの新京にも欲しいものだ…………などとぐちをこぼす連中もあつた、斯くて花酔まだ去らぬうちに黄昏は無遠慮にもせまつて、又しても星ヶ浦はその情景を注ぐ、一雨降つた宵の大連、アカシヤの並木は又一入格別である、かうした緑樹の美と道路の美に恵まれた植民都市大連そのものが公園の価値がある
▽……△
春の一日を有意義に暮した一行は二班に分れ、第一班二十一名は六日午後九時大連発列車で吉村新京駅員引率のもとに花の都、緑の楽天地から、北満名物黄塵の都へと帰らなければならなかつた、僅か十数時間とはいへ我々一行には三ヶ年は長生きしたかの気分がした、ユラレユラレて疲れた体も特に鉄道部のサービスで三等寝台車を與へられ幾分疲れもとり直し、各駅、食堂車から特に分けて頂いたお茶の接待至れり尽せりのこのサービスはひとへに感謝あるのみで、一行に代つて新京駅、各駅、ピユーローに対して厚くお禮申したい、第一班は七日午後一時五十五分着列車で滞りなく帰京、第二班二十二名は八日午後一時五十五分着列車でピユーローの岡本氏引率で帰京の予定である
|
参考文献
上記(1)の出典は昭和9年5月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、(2)は同年5月7日付同、同、
付録資料その1(1)の出典は同年5月6日付同、同、同(2)は同年5月8日付同朝刊3面、同
|
|
参考文献
上記()の出典は
()は
()は
()はんかんえ
()ははしはか
|
上記の記事が載った翌日、5月9日に「新京地方事務所を中心に満鐵各機関に常時出入する各新聞通信記者(3)」5社9人による満鐵記者倶樂部が発足したのです。もちろん新京日日は倶楽部のメンバーに中島記者を送り込みましたが、こういう倶楽部が生まれるまでの一連の記事は中島記者が書いたんですね。満鐵とツーリストビュロー専門みたいな記者倶楽部ができれば満鐵と各新聞の関係は親密になる、言い換えれば持ちつ持たれつの関係になり、細かいお知らせも滅多に落とすことはなくなるそうです。
それでね、私は記者倶楽部があれば特オチがなくなる例として、満洲各地に出没した匪賊、馬賊征伐作戦で戦死した兵隊さんの遺骨を乗せた列車の通過日時のお知らせ記事を思いつきました。下記のような内容です。
同じよう内容の記事ですが、上の2本は昭和13年の大新京日報の記事、横線の下は新京日日の記事ですが、1年違ったら扱いも変わり、遺骨の柱数を伏せるように変わったことがわかりますね。
付録資料その2
(1)「団体往来」(十三日)
△皇軍勇士遺骨七十八柱 午後四時二十分着 哈爾浜より
△同十四柱 午後七時三十五分着 延吉より
(2)護國の人柱
記念公會堂で御通夜
けふ・故國へ無言の凱旋
北満の華と散つた尊き皇軍戦没勇士の遺骨七十八柱は十三日午後四時二十分着霊柩車で哈爾浜より着京、この日駅ホームには■<1字不明>谷参謀以下関東軍各将星を始め満軍代表、干市長等各政府機関代表、■<同>谷夫人も溥傑夫人等以下国防婦人會代表、在京各学校生徒等約一千名の盛大なる出迎への裡に戦友の胸にしつかりと抱かれた悲しみの英霊は駅より中央通、更に吉野町を経て記念公会堂に安置、同七時三十五分吉林方面より着京の遺骨十一柱と共に記念公会堂で厳かな御通夜が営まれた、尚ほ同夜御通夜を終つた八十九柱の遺骨は十四日午前十時三十分新京駅発列車で大連経由故国に悲しき凱旋をする (写真は英霊の着京)
*****************
(3)御遺骨國都到着
夜九時から慰霊祭
国防第一線に散華した皇軍勇士の御遺骨は十三日午後三時十分着列車で哈爾浜より○○柱、同七時三十分吉林より○○柱が国都関係各機関諸団体の出迎裡に悲しくも無言の到着をなし直ちに慰霊祭式場たる吉野町記念公會堂に一般市民哀悼の中を粛々と戦友の胸に抱かれて向ひ設けられた正壇に安置され午後九時より慰霊祭が執り行はれ引続き御通夜を執行することになつてゐるが、この日全市民哀悼の意を表し定められた行動をとるやう望まれている
(4)けふ 護国の英霊凱旋
北満第一線の野に興亜の礎として散華した赫々の武勲に輝く皇軍将兵の遺骨は故国へ無言の凱旋の途、十三日哈爾浜方面より午後三時二十分着列車で、吉林方面より同七時五十二分着列車で二回に亘りそれ/\゛戦友の手に抱かれつゝ駅頭を埋める軍部並に在京銃後諸団体に迎へられつゝ着京続いて戸毎に弔旗低く垂れる中央通、吉野町を経て慰霊祭場記記念公會堂に入り直に読経が開始され、同九時から厳粛な慰霊祭を執り行ひ一夜を全市民哀悼の中に通夜したがけふ十四日午前十時公會堂発同十時三十分新京発列車で一路南下する【写真は慰霊祭の■<同>軍司令官焼香】
(5)御遺骨南下
十三日哈爾浜吉林方面より無言の凱旋の途国都三十万市民哀悼の中に厳粛盛大なる慰霊祭並びに御通夜を受けた○○柱の御遺骨は十四日午前十時三十分発列車で軍部、政府、學校其他諸團体見送裡に南下一路無言の凱旋の途についた
|
参考文献
上記(3)の出典は昭和9年5月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、
付録資料その2(1)は昭和13年9月14日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、
同(2)は同年9月14日付同朝刊7面、同、
同(3)は昭和14年7月14日付新京日日新聞夕刊2面、同、
同(4)は同年7月14日付同朝刊7面、同、
同(5)は同年7月15日付同夕刊2面、同
|
私が元新聞記者の親友にこの満鐵記者クラブ結成の話を聞かせたところ、いやいや、大義名分は満鐵情報の取りこぼしをなくするといったかも知れないが、昔は田舎の駅などの取材のためにという名目で、鉄道担当は1社1枚の乗車無料のパスがもらえた。新聞社は金があるふりをしてるけど、貧乏でね。偉い人の出張とか鐵道担当でない記者もそのパスを借りて取材に出掛けてね、社からの出張旅費は飲み代にしたもんだ。
多分満鐵も取材には何かと便宜を図ってはくれたはずだが、倶楽部を結成するメリットとして、そうした無料パス獲得を狙ったのだろう。日本の国鉄担当の記者たちがそういう特典、無料パスを返上して完全自前路線に改めたのは、戦後だいぶたってなんだよといってました。
これは補助資料なのに、また脱線してご免ご免。薄緑色にしてある公主嶺関係の記事をよく見なさい。新京市民を集めてジンギスカンを食べに行く列車は一度も走らなかったのです。昭和13年の行楽列車の年間計画でたった1回登場するけれども、有耶無耶になり実現しなかったのです。
となると、磯野さんの思い出は幻、思い違いなのか。いやいや、磯野さんは自信を持って書き残したのです。本当に走っていたのでしょう。講義の繰り返しになるが、ただ、そのジンギスカン列車に乗った団体は、新聞を読んで集まった新京市民じゃなくてね、官庁とか会社からの団体だった。いまとなっては、それを裏付ける記録は残っていないでしょうが、それしか考えられません。
それから公主嶺行き以外の行楽列車の記事があるのは、このページを読みに来た熱心な諸君へのサービス、おまけです。いまなら小学生でもアイスクリームはハーゲンなんとか、サーティなんとかじゃなきゃ嫌だなど抜かすのに、昔の大人たちは納涼列車で配られたアイスクリームを素直に喜んでいたことがわかる。純情だったんですなあ。
公主嶺行き納涼列車は昭和12年までで13年からぴたりとなくなります。支那事変勃発とは無関係ではないでしょうが、新京市内にジンギスカンを食べさせるカフエー、食堂ができて、わざわざ公主嶺まで行かなくても食べられるようになったという事情もあるのです。はい、速記録に戻って続きを読みなさい。
明治時代の記事から****************************
●奉天観光團募集
奉天は清祖発祥の旧都にして名勝古蹟少か
らず、一度同地を訪れざれぱ未だ満洲を語
るの資格なしとか、今や気候清和にして旅
行の最好期節なればとて遼陽に於て今回遼
陽新報社、満洲日々、遼東及本社等各新聞
の同地支局の発起にて左記方法に依り家族
的一大団体を組織して一日の清遊を試みん
とする由なれぱ有志の士女は奮て賛同あり
たしとなり
一、六月六日(日曜日)午前五時五十五分
遼陽駅出発同七時五十五分奉天着直に
馬車人車に分乗して北陵に向ふ
一、北陵に於て午餐を喫し正午再ぴ車を
連ねて宮殿に参拝
一、午後二時より市内の自由散歩を為し
同六時奉天駅参集六時五十分発列車に
て帰遼
一、會費は金二円八十銭、往復汽車賃及
車馬賃は其内に含み尚午餐の折詰あり
但し乗車券所持の方は其内より一円
八十銭を扣除すること
一、申込期間は來る六月四日迄申込み所
は遼陽新報社及各支局
(明治42年5月29日付満洲新報朝刊2面=マイクロフィルム、)
●奉天観光團
▲団員の遼陽出発 遼陽に於ける一社三支
局の合同主催せる奉天観光団は予定の六
日午前五時三十分迄に停車場に参集したる
団員は総数二百五十余名内女七十三名男百
三十九名、一才より七八才迄の小児三十余
名一同紫紺色の花章を着け大塚駅長の尽力
せられたる特に団員の為めに大連より連結
せられたる二等車百人乗り二輛に分乗し喜
色満面意気揚々として遼陽駅に煙を残して
奉天に向ひ発車せしは午前五時五十五分な
りき
▲奉天に着し北陵に向ふ 午前八時二十五
分奉天駅に着車するや先発者なる満日の吉
本車馬世話掛り西尾両氏の出迎を受け女團
員七十三名は人力車に男團員は支那馬車に
順次搭乗し列を正して北陵へ向へり此日奉
天に稀れなる好天気にて荒風凪ぎ静つて鬢
毛だも動かさず白雲は日光を蔽ひ婦人連を
して焦面の憂ひなからしむ斯くて九時十分
一同は北陵に到着しぬ
▲北陵内の美景 一同車を捨て門内に入れ
ば鬱蒼たる古松店外を貫きて繁茂し左右は
雑花今を盛りと美を争ひ一歩一歩と仙境に
入るの感あり平常閉鎖せる廟門は速水副領
事の交渉強力に依りて我が観光團の為め
にサツト開かれたり斯くて団員は粛々とし
て廟門を入り三階の高楼に登り境内を眼下
に見下すあり左右の高壁上を左右に巡廻
するあり平地上の堂宇内に入るあり左右に
別れたる者復た壁上に合するあり奥の院な
る太宗文皇帝の御陵たるの高大なる土饅頭
を一周すれば周囲には雑木雑草生々として
転た母国を追懐するの情を醸もせり各楼の
建築構造より彩色の金箔迄一点の申分なく
其の広大壮麗にして且美麗なるに一同覚え
ず低首せり
▲撮影と午餐会 此間凡そ一時間半を経て
守衛の催促を受け一同別れを惜みつゝ廟門
を出て一同二重塔前面に集合して紀念の撮
影を為せり時に午前十一時注文の折詰弁当
ラム子お茶等は城内鳥福料理店より運び來
られ美形七八名大車輪にて団員一同へ午餐
を供し団員は思ひ/\に樹蔭に草上に円座
して愉快なる中食を喫したるが團規を守り
て一人も欽酒する者なかりき (鐵)
(明治42年6月9日付満洲新報朝刊2面=マイクロフィルム、)
●千山紅葉観光團
遼陽各新聞の主催
満洲に在りて一度千山の風光を観味せ
ざれば満洲に居住の資格なしと迄称せ
らるゝ千山は來月初旬頃は紅葉観光の
好時季なるを以て遼陽新報社、満洲日
々、遼東新報、南満日報、鐵嶺新聞、
及ぴ我満洲新報の一社五支局主催 て
來る九十の土日曜日をトし千山紅葉観
光團を開催する事となせり会費は宿泊
料手荷物運搬費其他一切を籠めて金三
円湯崗子往復汽車賃は自弁にて九日午
前五時五分発にて會員一同湯崗子温泉
ホテルへ向け出発同所にて朝食を喫し
直ちに馬車に乗じて千山へ向ひ同夜は
龍泉寺に一泊翌十日下山湯崗温泉に入
浴晩餐を済まし午後十時半頃貨車にて
帰遼する筈なりと
(明治42年10月1日付満洲新報朝刊2面=マイクロフィルム、)
紅旗山花見會
四ケ月の永き間寒氣に閉ざされ風雪に苦める満洲は今や
漸く陽春艶陽の候に入り方に花笑ひ鳥歌ふて一刻千金を
値する時となれり我社は此艶陽の候を機とし同志の人々
と共に大石橋紅旗山に杏花を賞して冬籠中の苦艱を洗ひ
去り以て清新の元氣を養ひ大に活動するの素地を爲さむ
とす同好の人々は男女を論せず左の規定に拠り此計画に
賛同し一日の清遊を共にせられんことを祈る
一 時日 來五月一日(日曜日)
一 場所 大石橋紅旗山
一 會費 銀壱圓五拾銭(但大石橋居住の向は
金八拾銭)
一 當日は午前八時発の列車にて出発午後六時
十分大石橋発の列車にて帰着すべきに就き出発の
際は午前七時半迄に営口駅に参集せられたし
一 会費と引換へに乗車券及び辨當券を進呈す
べく帰途大石橋にて茶菓を供すべし
一 御賛同の向は來二十五日迄に御申込ありたし
一 當日雨天ならば第二日曜日(五月八日)に繰延
の事
四月十九日 満洲新報社
(明治43年4月21日付満洲新報朝刊3面=マイクロフィルム、)
●月見列車
…旅順より夏家河子まで…
旅順の風流駅長久保田金平氏の発起に
て來る十五日頃の月明を期し同地の官
民より約三百名の會員を募り夕刻より
旅順駅発徐々として夏家河子駅まで運
転し同駅にて一同下車し月明を浴びて
暫く白沙の海濱を逍遥し同夜再ぴ旅順
に引返へす予定にして目下其会員の募
集中なるが車内は無風流なる燈火を廃
し満車花の如き紅提灯を吊し且つ腰掛
一切を取徐きて全部畳敷になし中に同
地出色の紅裙数十名を配し月を賞し
ながら徐行する列車内にて充分の感興
を行り兼ねて又官民意志の疏通を図る
の一端ともすべしと何れにしても満洲
には破天荒の好遊樂と云ふペし
(明治44年8月4日付満洲新報朝刊3面=マイクロフィルム、)
旅順舟遊行
大連満鮮旅行案内社の主催に係る観月
舟遊會は去る六日第六共同丸に百三十
余各の會員を搭載し午前七時旅順へ向
け解纜す、此日前夜の風波全く穏ぎて
海上畳の上を行くが如く上甲板に打集
ふ数多の会員或は遠く星ケ浦を指呼し
或は近く小平島の奇岩怪石に驚嘆の目
を見張り前方一際高く白玉山頭に聳ゆ
る表忠塔を見ては戦役当時を回想せる
間に十時半頃船は早くも旅順港内満鉄
桟橋に横附す、官民の重立てる数氏態
々炎暑を侵して出迎への労を取らる上
陸を終れば公議会の斡旋による支那馬
車約五十台に一同膝突合せ先づ二百三
高地、旅順公園、戦利品陳列所、鶏冠
山、白玉山等を巡覧す、但し日中の馬
車巡りは堪らぬと中途何時しか車を横
に外づして姿を晦ませる二三の脱走者
をも見受けたれど、夕刻には悉く帰船
して午後八時船桟橋を離るれば十二夜
の明月中空に懸りて波静けき海上を隈
なく照らす、真に観月舟遊會の名に背
かず船黄金山下を通過するに及ぴ転た
閉塞戦勇士が苦戦悪闘せし昔を偲ぶ、
港外には今日大連より着せる八千余噸
の米国旗艦横はり純白の全身に電光の
綺羅を競ふ、同乗の全会員挙って拍手
万歳を唱ふれば艦上これに答る意にや
劉朗たる喇叭の音銀波の上に清く響く
軈て船中余興の幕は開かれ千輪君が壮
烈なる筑前琵琶の弾奏は満船鳴りを沈
めて其妙技に酔ふ、微風和装の袖を払
ふ甲板に月光を浴ぶる會衆三嘆の声尽
きざる中當日十二分の使命を果せる第
六共同丸は午後十一時大桟橋帰着会員
は随意に散会せしが近来稀なる壮會な
り(同伴生)
(明治44年8月9日付満洲新報朝刊1面=マイクロフィルム、)
ここからが、主として新京日日新聞から拾い出した新京発の行楽団体列車の記事です。公主嶺行き以外は見出しだけですが、それ以外のおまけ記事も少しまじっています。昭和13年ごろから列車よりもバスで出掛けるようになります。列車は軍需物資の輸送に回され、物見遊山には使いにくくなったのではないかと考えています。
昭和8年 ****************************
<国会図書館所蔵の新京日日新聞マイクロフィルムは昭和8年1月1日〜同15年10月31日までです>
花見の団体に
運賃を五割引
満鐵、春のサービス
(昭和8年4月20日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
満鐵の花見
列車
(昭和8年4月25日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
臨時列車や
朝食のサービス迄
慰霊祭に満鐵のお骨折り
(昭和8年4月27日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
二十日から大屯の
娘々廟の祭り
新京から汽車賃往復卅五銭
初夏は郊外へ々々々
(昭和8年5月19日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
北朝鮮事情視察
及金剛山探勝 旅行団募集
<ジャパンツーリストビューロー主催で参加者20人を募集する広告>
(昭和8年6月17日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
団体割引率
十五日から改正
(昭和8年7月13日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
夏河子海水浴場行き
運賃割引き
(昭和8年7月20日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
大連市催<横見出し>
満洲大博覧会へ
見学団の組織計画
新京人なら廿円程度で
丸三日間の見物
(昭和8年8月6日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
こうすれば
格安でゆける
第一班七日出発
<上記の記事の詳細説明>
(昭和8年8月6日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
ツーリスト
ビユーローが
満博観光
団員募集
(昭和8年8月17日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
日曜利用の
臨時列車運転
土曜の晩から月曜の朝へ
満博見物に好都合
(昭和8年8月19日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
来る十日の日曜日は
公主嶺散策に
臨時列車を一運転
秋風衣袂に涼しく郊外散策の好季節に入つたが新京を少し離れるといよ/\秋らしい
風物 に接することの出来る公主嶺がある、水田があり黄金色の並る、また同地の農事試験場は世界的に知られ閑静であり各種の植物花卉、さて緬羊の悠々たる等々一日の行楽には最適である新京鉄道事務所では来る十日の日曜日を利用し同地行楽のため百余名の団体で割引を申込まれたのを機とし臨時列車を運転し一般からも希望者を募りその人数によつてはいくらでも
客車 を増結する準備をしたさうで午前八時十三分新京駅を出発、途中無停車で九時四十六分に公主嶺に到着、帰りは五時廿分に南から来る普通列車に乗れば七時に新京へ帰着するから楽々同地の秋を探ることが出来る料金は片道九十五銭であるが二十人以上五十人迄の
団体 は二割引、五十人以上百人まで二割二分五厘の割引となるのでなるべく多人数がが申合せて行くと非常に安くなる訳である
(昭和8年9月8日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム)
畳敷の汽車で
湯崗子温泉ヘ
ニ十三、四両日の休みを利用
いでゆの旅はいかヾ
こんど製鋼所設立のため大発展の途上にある鞍山視察を兼ね満洲唯一の温泉場湯崗子巡りをなし温泉情調を満喫すべく新京駅、ツウリストビユロー主催、鐵道事務折後援の下に一般希望者を募集する事になつた、二十三日の祭日と二十四日の日曜を利用してのたのしい温泉巡り故希望者多く全部を収容し切れない気遣があるので人員を三十名に限り申込み〆切を廿一日正午までとしたい行程は九月二十二日午後十時新京駅発二十三日午前九時十分鞍山着、鞍山見學午後一時四分発同一時二十五分湯崗子着一泊、二十四日午前八時五十七分湯崗子発同日午後六時五十五分新京着、會費は大人十三円、小供九円五十銭(但し汽車賃、宿泊料湯銭、食費を含む)特に満鐵の方から畳敷三等客車を仕立て、旅館は二等旅館となつてゐる、右申込所は新京駅(電話三二七六番、ツウリスト電話三三九三、四七七二番)ヘ二十一日正午までに申込まれたい
(昭和8年9月14日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
秋の公主
嶺行に
臨時列車を出す
いよ/\満洲の秋は深くなつて参りました、二十三日、四日とお休みが続いて郊外散策には持つて來いの日であるが新京に近くて適地とされてゐる公主嶺は皆さんのお遊びを待つてゐる、これを機会に公主嶺で家族會、親睦會等を催す団体に対しては鐵道当局でも相当数の団体になれば運賃の割引は勿論臨時列車の用意もなし、出来る限りの需めに応ずると
(昭和8年9月21日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
二日続きのお休み
さてどちらへ
グラウンドへ、また競馬場へ
郊外に杖を引くのも
<略>
温泉行
新京駅主催秋の湯崗子温泉行
き團体二十七名は二十二日午
後十時発列車で賑かに出発し
たが途中鞍山を見学して、湯
崗子に至り一日ゆつくり清遊
して、二十四日午後七時半新
京着列車で帰着する
<9月14日の記事で募集した団体で、上記の記事は遊びに行く場所の提案するもので最後に温泉を挙げたため、別に鐵道担当記者が書いたとみられる下記の湯崗子行きの記事と隣り合って載っている。珍しいケース>
(昭和8年9月23日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
湯崗子行
今夜の汽車で
かねて鉄道事務所、ツウリス
ト、ピユウロウが主催募集中
であつた湯崗子温泉巡り団体
二十七名はいよ/\二十二日
午後十時新京駅を出発二十三
四日の両日に亘つて新興市の
鞍山を初め満洲三大温泉の一
と称せらる、湯崗子を視察見
学、湯治と有意義に散策風景
を満喫することであらう
(昭和8年9月23日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
昭和八年の回顧 (二十)
來京者七十六萬人
昨年に比し九割の増加振り
満洲鐵道の一年 (B)
<略>又八月十九日には百七十人の大人数で新京駅初めての臨時列車で、大連の博覧会行きを行ひ、湯崗子温泉にも遊んだ、又人気の良い列車ホテルも、昨年十二月十一日開設以來一年後の十二月十九日、宿泊者五千余名、収入十九万円の好成績を残して閉鎖されたことは忘れられない出來事であるその他青木鐵道事務所々長、田中営業長の栄転、新京駅事務長の栄転があつて今や繁忙なりし一年を終らんとしてゐる
(昭和8年12月21日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
昭和9年 ****************************
臨時列車
運転と割引
<大屯の娘々祭向け>
(昭和9年2月6日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
観櫻團体客に
割引往復團体乗車券発売
<満鐵社線各地より大連、旅順、安東行き観桜團体には割引往復券を売る>
(昭和9年4月18日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
都塵を避け
お花見は如何です
ピユーローと駅主催本社後援
來月六日星ケ浦へ
(昭和9年4月20日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
郭家店の杏花
来月十日頃が見頃
列車の割引行ふ
(昭和9年4月21日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
大連へのお花見
申込み者殺到
なるべく早く申込み下さい
(昭和9年4月25日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
星ケ浦の桜
六日頃が満開
観桜列車の出発をひかえ
嬉しい花だより
(昭和9年5月1日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
大連星ケ浦観櫻團體募集
百花瞭乱 春、春、春や春!
まこと旅は春、春の旅は櫻狩り!
期日 往路 五月五日(土曜日)午後四時半新京発
五月六日(日曜日)午前七時四十分大連着
復路 五月六日(日曜日)午後九時大連発
五月七日(月曜日)午後一時五十五分新京着
團費 申込ト同時ニ全額納入ノコト
大人一人 金十六円
小人一人 金十円二十銭 等級…三等
但シ往復汽車賃六日朝七日朝食中食及び観桜御馳走券並ニ団体行動中ノ
諸費用一済ヲ含ミマス
(註六日御夕食ハ御自辨願ヒマス)
観桜 六日朝大連駅到着後駅前日本橋ヨリ貸切電車ニテ
星ケ浦へ直行会場ニテ観桜御馳走券引換ノ上自由
解散
集合 往路 五月五日午後四時新京駅集合
復路…五月六日牛後八時半大連駅集合
催シ 復路車中ニテ幅引ヲ行フ
申込 五月三日迄
受付箇所 新京駅及駅前ジヤパンツーリストピユ
ロー
電話二〇一六番三三九三番
人員 一百名
主催 新京駅
ジヤパンツーリストビユーロー
後援 新京日日新聞社
<ツーリストビューロー広告>
(昭和9年5月1日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
大連星ケ浦観桜団員募集<新京日日新聞社告>
(昭和9年5月2日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
大連星ケ浦観桜団員募集<ツーリストビューロー広告>
(昭和9年5月2日付新京日日新聞夕刊4面=マイクロフィルム、)
大連星ケ浦観桜団員募集<ツーリストビューロー広告>
(昭和9年5月2日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
大連観桜團の
申込一日延期
帰りは希望により随意
(昭和9年5月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
星ケ浦観櫻團
賑かに出発す
一行流石に大燥ぎ
(昭和9年5月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
星ケ浦の
観桜第二班帰る
(昭和9年5月9日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
郭家店へ
花見団
けさ出発する
(昭和9年5月13日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
大屯阜豊山娘々祭に
臨時列車運行
新京発は二個列車
(昭和9年5月15日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
日帰り行樂の
わらび狩りへ
新京駅とピユーローが
参加者を募集
(昭和9年5月17日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
吉林へ日帰りの旅
申込は十九日まで
駅、ビユーロー主催本社後援
(昭和9年5月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
けふ吉林龍潭山の
わらび狩りへ
総勢七百二十余名
打揃ひ賑かに出発
(昭和9年5月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
龍首山ゆき
きのうから運賃割引
鉄道部の旅客サービス
(昭和9年6月3日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
十六、七両日の休み
ハルピン行はいかゞ
ツーリストビユーローで
視察団体を募集
(昭和9年6月5日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
吉林娘々祭
への旅客に
運賃割引
(昭和9年6月9日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
ハルピン観光団
あす出発
(昭和9年6月15日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
基督教會の
ピクニツク延期
(昭和9年6月16日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
夏は高原へ!
満洲の軽井沢 公主嶺行はいかゞ?
新京駅とビユーロー主催で
来月一日日曜日に
繁茂期を前に公主嶺農事試験場には日毎に見学団が殺到してゐるが新京駅、ジヤパンツーリストビユーロー新京案内所主催並びに本社後援のもとに來る七月一日新京から左記によつて公主嶺農事試験場見学団を募集することになつた
一、期日 七月一日
一、主催 新京駅、ビユーロー新京案内所
一、後援 新京日日新聞社
一、発着列車 同日午前九時五十分新京駅発第廿二列車
かへりは同日午後六時五十五分新京駅着第二十一列車
一、等級 三等
一、人員 百名限り
一、会費 大人二円 小供一円三十銭(ともに金票)
一、サービス 昼食弁当附、現場には案内者の特別案内その他
一、視察個所 農事試験場(畜産、園芸)独立守備隊、騎兵隊その他
一、申込 新京駅(二〇一六)ビユーロー(三三九三)
(昭和9年6月22日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
日曜学校
ピクニツク
(昭和9年6月24日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
愈よあす締切
本社後援の公主嶺試験場見學
応募百五十名に上る
新京駅、ジヤパンツーリストビユーロー新京案内所主催、本社後援の公主嶺農事試験場見学をかねた軍隊慰問団募集は去る二十三日から行はれたが、既に百五十名に達しまだ続々と申込者がある状態、なほ団体出発日時は七月一日午前七時二十分新京駅発、かへりは同日午後六時五十五分新京着、会費大人金二円、小人金一円三十銭、視察箇所は農事試験場、独立守備隊、騎兵隊その他、申込みは新京駅(二〇一六)ビユーロー(三三九三)締切りは二十九日午前中
(昭和9年6月29日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
けふ公主嶺ゆき
雨なら中止
新京駅、ジヤパンツーリストビユーロー主催本社後援満洲の軽井沢巡り軍隊慰問見学団は意外の人氣を博し最初百名募集計画が二百五十名の参加に上り、一日午前七時二十分発列車で出発の予定で、昨夜新京では降つてゐた雨も公主嶺の方では降つてゐなかつたので公主嶺が降らぬ限り新京で如何に降つても出発すると若し雨が降れぱ一週間延期すると
(昭和9年7月1日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
夏河子へ
海水浴団体募集
(昭和9年7月3日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
灼熱の夏は
夏河子海水浴へ
本社後援の夏河子行き
応募者続々
(昭和9年7月4日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
公主嶺見学団
いよ/\八日出発
応募者二百四十名に上る
雨のため一週間延期中であつた本社後援の公主嶺農事試験場見学軍隊慰問旅行はいよいよ八日決行される、応募者は二百四十名の多数になつてゐるが酷熱と黄塵の新京から涼風吹きまくる青葉の高原で一日の静養をむさぼるのも効果あるものであらう
(昭和9年7月8日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
公主嶺見学
悪天候のため
とう/\中止
新京駅、ツーリストビユーロー共同主催本社後援の公主嶺農事試験場見学、軍隊慰問旅行はとうとう悪天候のため取止めとなつた応募者はそれぞれ申込箇所へ払込金額を受取に行かれたい
(昭和9年7月9日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
鉄嶺龍首山で
納涼デー開催
満鉄は団体割引
<100人に賞品を贈る>
(昭和9年7月26日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
アイスクリームを食べつゝ
夕涼み列車へ
新京駅の新しい計画
むし暑い新京の塵芥と騒音からのがれてボンボリすがたの軽油動車で涼を求めて二時間の間夕涼み列車でアイスクリームに舌鼓うつのも風雅な鎖夏方法の一つ、新京駅、ツーリストビユーロー共同主催で来る四日(日曜)午後六時十分新京駅出発軽油動車を特発して往復二時間余の涼をむさぼる列車の計画を立てた、人員は八十名に限られてゐるから早く新京駅(二〇一六)ビユーロー(三三九三)に申し込むこと、会費は往復大人五十五銭小供三十五銭、アイスクリーム、レコードのサービスあり
(昭和9年7月31日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
申込多く二輌連結
四日土曜日に新京発
既報、新京鉄道事務所で計画をたてた行くさき知らずのフラフラ夕涼み列車が発表されるや希望者はどし々々申込みきのふ一日で九十名からあつた、これで八十名限りの募集は折角の夕涼み列車も希望者の満足を与へ得ないので鉄道事務所では最初の計画が一輌八十名であつたのを二輌連結百四十名を募集するとなほサービスはアイスクリームレコードの外にビール、サイダー、タバコの接待とゝもに二人のサービスガールまで乗り込ませる、新京発が四日(土)午後六時十分、どこまでゆくやら行先不明?申込みは新京駅ビユーローに三日まで
(昭和9年8月1日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
南新京附近名物の
お花畠を見学
この日曜日臨時列車を仕立て
(昭和9年8月3日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
「明日」欄
▲夕涼み列車 新京鉄道事務所主催の夕涼み列車はいよいよあすの晩夕飯すまして六時十分新京出発かへりが八時十分です
(昭和9年8月4日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
けふの黄龍公園行
正午出発に変更
汽車賃は往復廿銭
(昭和9年8月5日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
心ゆく迄満足の
夕涼み列車
次回は十一日の土曜日
<250人を乗せて大屯山まで運転、サービスガールを3人に増やして接待した>
(昭和9年8月6日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
花摘み列車
大成功
(昭和9年8月7日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車は
何處へ行く?
第二回は十一日新京駅発
<3両に約200人乗せて2時間ぐらいの迷走にしたい>
(昭和9年8月9日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
今度も大成功
迷ひ迷つて寛城子まで
<250人の予定が希望者が多いため5両に400人が乗り、新京駅から南新京駅までの間に行き先当て投票を行い17人が正解した>
(昭和9年8月13日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
趣向を換えて
第三回夕涼み列車
次の土曜午後四時四十分発
(昭和9年8月15日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
あす
午後四時四十分
(昭和9年8月18日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
昨日も大繁昌
秋虫の声もすゞし
<250人が新京から大屯山まで行った>
(昭和9年8月19日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
軍艦見学団
目下募集計画中
(昭和9年9月7日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
軍艦見学団
廿四日午後五時出発
大人十六円小戸も九円五十銭
(昭和9年9月8日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
廿三、四両日
山海関 胡蘆島、錦県廻遊計画
奉天で団体募集
<奉天鉄路局など主催だが新京からの希望者も募る>
(昭和9年9月20日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
秋酣はの散策には
哈爾賓、吉林へ
本社後援、ビユーロー主催で
来月上旬に決行
(昭和9年9月27日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
哈爾賓、吉
林行中止
(昭和9年10月5日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
十四日の日曜
日帰りで龍潭山紅葉狩り
ビユーロー駅主催で
(昭和9年10月9日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
釣魚選手権大会
次の日曜飲馬河で
入賞者には銀カツプ
(昭和9年10月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
紅葉狩りに加え
鵜飼ひも見学
龍潭山行希望者は速に
(昭和9年10月12日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
いよ/\あす
龍潭山の紅葉狩り
(昭和9年10月14日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
紅葉狩り
盛況
(昭和9年10月16日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
特急あじあ
公式試運転<記者団も試乗>
(昭和9年10月23日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
弾丸列車はまた
快感列車だ
(昭和9年10月25日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
一般市民から
あじあ試乗者募集
(昭和9年10月25日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
あじあの
試乗希望押すな/\
(昭和9年10月26日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
あじあの
試乗希望
三百九十一名
(昭和9年10月28日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
あじあ試乗希望
二十名増加
(昭和9年10月29日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
特急あじあ
けふ奉天へ
見物人で賑
ふた新京駅
(昭和9年10月30日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
北鮮見学と朱乙温泉巡り
団体募集<駅とビユーロー広告>
(昭和9年11月27日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
北鮮見学と朱乙温泉巡り
団体募集<駅とビユーロー広告>
(昭和9年11月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
昭和九年の回顧(十三)
國都の大玄關口に
思ひ残る数々
乗降客前年より百廿萬激増
三国際鉄路の集合地になつて
ゐる首都の玄関口新京駅の乗
降旅客も発着の手小荷物、貨
物も前年度に較ぺて大変な激
増ぶりだこゝ一、二年間躍進
に躍進を続けて來た同駅は昭
和九年度も相変らぬ異常な躍
進ぶりだつたが、まづ本年度
新京駅として特筆すべきこと
を拾ひ挙げるならぱその第一
には六月六日秩父御名代宮殿
下を御迎へ申上げ同十三日御
無事御送り申上げたことであ
つた、次で十月十三日に満洲
国皇帝陛下には榮ある初の陸
軍特別大演習御統監のため大
屯山へ御発輦、御還幸遊ばさ
れた、続いて同月十九日新京
奉天間、二十日奉天、新京間
二十四日は新京、吉林間を地
方御巡狩のため御発輦、御還
幸遊ぱされたがいづれも日満
警憲の水も洩らさぬ御警衛と
ゝもに鐵道側では芳賀鐵道事
務所長以下三百余名の所員、
駅員が涙ぐましい程の緊張味
を以て各自責任をもつて職務
に従事したのであつたが恙な
く御旅程を終らせられたのも
かくれたる鐵道人の功績とも
いふべきであらう
▼―――▲
斯様に日満両国高貴の方々の
御出入繁くなつた同駅には貴
賓室の設備不足を痛感したの
で三月には早速貴賓室の新設
を本社に申請し、三月からそ
の工事にとりかゝり、五月末
日に漸く竣成し、秩父宮殿下
御來京に間に合して殿下をお
初めてこの貴賓室にお迎へ申
上げたのである、貴賓室の新
設に伴つて構内模様替へも行
つたがこれに要した工事費が
ざつと一万五千円、同時に三
等待合室天井、壁の塗替へな
ど近来にない多忙を極め、近
くは十一月一日のダイヤ改正
と同時に満洲の寵児流線型特
別急行列車あじあ号の出現で
連京間僅か八時間半のスピー
ドアツプが實現した、實に満
鐵史上に特筆大書すべきもの
であらう、輸送力増大のため
本年度に新京鐵道事務所管内
で複線工事が開通した、区間
は十一ケ所○○キロメートル
に及び蔡家、大楡樹間の九月
二十三日開通を最後に満鐵創
業以來二十有七ケ年にして漸
く全線複線工事を完了したの
であつたが更に記憶すべきは
鐵道建設局で敷設中であつた
新京農安間の○○線工事の完
成で十二月一日から既に假営
業を開始した
▼―――▲
満鐵、南部、京図三線の一月
から十一月まで新京駅に乗降
した旅客数は實に三百六十七
萬八千九百三十三名、これを
前年度に較べると百十七萬二
千七百余名の増加を來して
ゐる、その中南部線降客は前
年度より十四萬名減少してゐ
る反面に京図線は降客ともに
四萬乃至五萬余名殖えてゐる
のは面白い、旅客のうちで忘
れることの出來ないのは四月
の解氷期と同時に潮の如くな
だれ込む満州視察旅行団体で
ある九月の六十一団体三千九
百十四名を最高に一ケ月平均
四十五団体、一千四百七十八
名の割で総計五百一団体一萬
六千二百六十名、これを前年
度に比較すると本年度は六十
五団体増加で人員では約三千
名減少してゐるが、これには
八月末日北鐵南部線匪賊襲撃
邦人拉致事件や十月のぺスト
騒ぎなどが相当影響してゐる
やうである
(昭和9年12月15日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
年末年始を利用
支那見学団募集
希望者はビユーローヘ
(昭和9年12月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
昭和10年 ****************************
伊勢参拝団
大連で募集
団体旅行の元祖であり既に数十回の経験を有する大連市吉野町七一崇敬会では第十九回の伊勢参拝團員を募集してゐる、同団の誇りとするところは老人や婦女子は勿論旅馴れぬ者の為に何等の不安もなく安心して大家族的に旅行が出來る殊に一切夜行列車に乗らいと言ふ旅行者にとつては一番樂で嬉しい仕組み、出発は三月九日大連出帆のうすりい丸で往復二十五日間、団費は百十八円で一切の費用が含まれてゐる、巡覧ケ所は門司、別府、松山、琴平、高松、大阪、奈良、二見ケ浦、伊勢神宮、名古屋、善光寺、松本、身延、東京、日光、京都、神戸より三月三十日乗船四月二日大連帰着の予定であるが故郷を訪問さるゝ方のために京都で自由解散が出來て神戸大連間の帰り乗船キツプを交附して呉れることになつてゐるから帰郷旁々の名所巡覧には好い機会である
(昭和10年2月6日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
日曜祭日
続きの 廿八、九両日
大連へお花見は?
駅とビユーローで団体募集
(昭和10年4月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
爛漫の春<横見だし>
三春の歓楽を尽す
本社後援 星ケ浦観桜会
プログラムも決定して
早くも湧く前人気
(昭和10年4月13日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
俄然!人気沸騰の
本社後援星ケ浦観桜会
二十八、九日は絶好の満開
(昭和10年4月20日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
咲いた!咲いた!
星ケ浦の桜花
愈々あす観桜列車出発
(昭和10年4月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
お花見はいかゞ
本社後援で新京駅が計画
(昭和10年4月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大連観桜団
喜々と出発
(昭和10年4月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
郭家店のお花見
あす第一回
(昭和10年5月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
明日の日曜は
郭家店のお花見に
午前十時十分汽車が出る
(昭和10年5月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大屯娘々祭に
臨時列車準備
殷賑を予想される阜豊山
(昭和10年5月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大屯娘々祭に
愈よあすから
往復割引運賃三十五銭
(昭和10年5月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
駅嬢連の
慰安野遊会
春の訪れもよそに連日四千名に乗客を相手に暗い鉄柵の中で穢い貨幣をいじくつてゐる新京駅の出札ガールや毎日活字とにらめつこで日蔭の青空をかこつてゐるタイピストたちにも春が来て昨日十三名今日十三名と二組に分れて公主嶺へ野遊会にくり出し妾たちの春を謳歌して楽しい一日を若き命の洗濯に過ごした
(昭和10年5月12日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
基督教各派
聯合で公主嶺
にピクニツク
日本組合、日本基督、メソジスト、聖公会各教会並に同日曜学校及び新京男女基督教会青年会聯合で來る二十六日公主嶺で野外礼拝並にピクニツクを開催する、一行は午前九時半までに新京駅に集合し同十時十分発、午後六時三十五分着帰京の予定で参加者二百五十名の見込である、汽車賃は往復大人一円五十銭、子供三十銭、辨當は各自持参、運動会や童話その他の催しがあり新緑の大自然の前で一緒に神を讃美しやうといふのである、申込は二十二日まで各教會へ
(昭和10年5月23日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
第四日曜を期して
苺狩りの催し
土們嶺農事試験場で
(昭和10年6月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本年のトツプを切つて
第一回釣魚大会挙行
本社後
援の下 廿三日飲馬河で
昭和10年6月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
廿三日の苺狩り
未熟の為延期
近く決定の上発表
(昭和10年6月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
愈よ卅日から
苺狩り列車
会費二円でお土産もある
<土們嶺行きで6月30日、7月1日、4日、7日、8日、10日の6回催す。1回定員10人。新京発午前7時土們嶺着8時39分、土們嶺発午後1時32分新京着3時10分という内容>
(昭和10年6月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
今年も盛夏のころ
夕涼み列車
本社の後援で新京郊外へ
<本社後援で7月下旬から8月上旬にかけて郊外への夕涼み列車運行と予告>
(昭和10年6月29日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
けふの日曜の行楽
楽しい莓狩りへ
大人気満員の盛況ぶり
(昭和10年6月30日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
あすは<横見だし>
本年最終の
苺狩り
今度は五十名を募集
(昭和10年7月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林の松花江で
川下りの催し
本月下旬に二百名の団体募集
(昭和10年7月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
愈よ十三日
第一回夕涼み列車
大屯石山行
(昭和10年7月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
盛況を予想される
夕涼み列車
決行の十三日目睫に迫る
(昭和10年7月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
待望の夕涼み列車
決行愈々明夜
定員を突破する大人気
(昭和10年7月12日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
松竹美給の一群が
出張サービス
大屯石山上で音頭踊を披露
(昭和10年7月12日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
雨で延期さる
明日も雨なれば廿日に
(昭和10年7月14日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
遂にお流れ
(昭和10年7月15日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
納涼列車
いよ/\廿日
(昭和10年7月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
納涼列車
今夕初運転
(昭和10年7月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大屯石山の一夜楽
雄大・山頂の饗宴
第一日目納涼列車試乗記
◇………
………◇
入場 ―待望の納涼列車初発の日<7月20日>は來た
近代的なジヤツヅ音楽だ
我々を大屯石山の下迄運ぶ納涼列車は四両の客車を連結して第一ホームに待機だ
若い夫婦づれが樂し気にやつて来る、恋人同志らしいアベツクが高踵の音も軽く弾ませて御入場、浴衣がけに団扇越後縮の裾前からステテコを蹴とぱし乍ら現はれた一隊のオツツアン連は右手にビール左に一升瓶、後に從ふ郎党の面々は重箱仕込みの御馳走を………坊や嬢やを伴つての賑やかな御入來である
◇………<略>
一夕の涼を満喫し、週末の歓楽を尽した一行は三々伍々今来たハイキングの逆コースを辿つて山下の汽車に乗り込む新京駅まで又相当の賑はひが続きお土産の団扇、提燈も貰つて駅頭の火の海へ立つたのは、確か九時を三十分も過ぎてゐたであらう(懸橋生)
(昭和10年7月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
超流線型軽油車で
公主嶺迄一飛び
廿八日日曜夕涼み列車計画
(昭和10年7月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
<28日運行の公主嶺行き納涼列車の予告>
超流線型軽油動車で
豪華な夕涼み
今度の日曜は公主嶺行き
既報、新京駅、ビユーロー主催の公主嶺日がへり超流線型軽油動車試乗をかねた夕涼み列車は、いよ/\来る日曜日(二十八日)午後三時三十分出発に決定、かへりは午後九時三十分、参加者は各自思ひ/\に軽い夕飯の仕度をして公主嶺の野原で夕涼み気分のを満喫し、一方カフエー松竹女給連総出動の華やかなサービスあり莚、湯茶売店の設備も備つて居り、前回にも増したサービス振りを発揮する、会費は大人一円十銭、子供六十銭(いずれも往復汽車賃アイスクリ−ム、お土産物も含む)早くも官庁、市内側の問ひ合せ殺到し前景気盛んなものである
(昭和10年7月24日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
深緑の涼線截つて
飛燕・夕涼み列車
超満員でイヨ/\本日決行
(昭和10年7月28日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
<締め切り2日前に定員270人なのに300人が申し込みあり、次の日曜に2回目を運行すると予告>
夕涼み列車
次の日曜に延期
新京駅並にビユーロー主催の公主嶺行き日がへり夕涼み列車は廿八日朝来の降雨のため中止、八月四日日曜日に延期された
(昭和10年7月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
夕涼み列車
愈々明日決行
(昭和10年8月3日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
旅大方面海水浴
回遊団体募集
新京は九日締切十日出発
(昭和10年8月3日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
時速百二十五キロ
羊群と遊ぶ半夜
デイゼル夕涼み列車試乗記
汽車 は出て行く煙は出ない……満鉄ご自慢の超流線型グリーン色の「デイーゼル電動車」は三百の夕涼み客を乗せて四日の午後三時半「ポー」と朗らかな汽笛一声新京駅のプラツトホームを滑り出した、色とり/\゛のテープの間から涼み提灯が天井で、すゞ風にブラ々々揺れて粋な前垂れ姿の美給連、新婚らしい若夫婦やら半ダースを越した子供の家族連れ、満鉄医院の看護婦隊、さては颯爽たる軽装のタイピスト団まで揃ひも揃つた涼み客も賑やかにギツシリ詰つた夕涼み列車は暑いながらも気分だけは涼味を満喫、羊で名高い公主嶺の草原に向つてゐる、大屯山の麓まで來るとモク/\と覆ひかぶさつた入道雲が真黒に空を染めたかと思ふと豪雨正に沛然、汽車の窓を横なぐりに打つて來た、この時われ等の流線型は時速百十キロ、八十四キロで
突進 する超特急「あじあ」より二十六キロも速い、飛行機のやうに雨中を猛進、壮快いはんかたなしである、公主嶺まで約一時間、なんと駅には公主嶺「きれいどころ」総出動の出迎へに男客の意気いよ/\軒昂、爆笑のうちに列車は引込線から羊や馬の群が散歩してゐる牧場に賑やかな到着をした、眼に沁みるやうな緑の夏草の上に開放された都会人はもう干頂天だ、羊群を取り巻くライカ群、樹蔭にゆくりなく夏宵一刻を語り合ふ若夫婦組、広い草原一杯に散らばつた時ならぬ匪賊の襲撃に「草園を荒す奴は誰だ」とばかり中村武羅夫先生張りの羊や馬の先生達、おだやかならぬ逃げ腰だ、雨があがつて虹が出た、赫々と沈む夕陽が嬉しい位美しい、ジヤズレコードが始まつて東京音頭を踊る女給さん達の
円陣 に交つて恐い髭のおじさんが覚つかない手振り足つきではねてゐる、とても奥さんには見せられない図だ、ポーンと花火が青空にあがる、「あーらきれいねー」と一齊にあがる金切声がしたのも束の間「皆さん御乗車して下さい」――「なーんだもう帰るの」――「だつて野宿も出來ないよ」――「失礼しちやうわ」―なんのことはないそれでは喧嘩だ、一夕の
涼味 ももう終りとなつたんだから仕方ない、「じやあ、こん度の土曜日にキツとね」デーゼル列車が取り持つ縁かいな―汽車は出てゆく煙は出ない、癪の種が残らないところがわれ等の夕涼み列車の超流線型である所以である (金久保)
<輪になって踊る漫画の説明>
女給さんがおどりはじめると折からの虹があざやか。大鼓がドンドンドン
<乗客と車掌の漫画の説明>
ビールを飲んでゐるお客連
A「今何哩だらう」
C「八十かなあ」
B「いや九十五だ」
A「いや九十だよ」
とたんに乗務員
「只今は百十哩の速力でございます」
一同「ダー」
<並んで花火を見る芸者連の漫画の説明>
線香花火に毛の生えた様なのが折柄の夕空に上る、公主嶺の綺麗どころが声を揃へて、「チエイネー」お客それがおかしいとて大声で「チエイネー」と云へぱ、今度は芸者連「きれいねー」
(昭和10年8月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
最後の夕涼み列車
さて何にする
幽霊列車はどんなもの
新京駅ビユーロー主催の夕涼み列車は第一、二回共大の人気を博して盛会に催されたが本年度ラストの夕涼み列車を来る十八日(日曜日)に運転する、今度は興味本位の面白いプランが計画されつゝある方法としては前回同様コースの公主嶺ゆきかもう一つは前年度非常な人気を博した行先知らずの幽霊列車にするか係員が研究中である
(昭和10年8月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
週末の旅大回遊列車
愈よ明日出発
海水浴兼ねた避暑旅行
(昭和10年8月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
宝探しに納涼踊り
お名残の夕涼み列車
公主嶺までノンストツプ
今夏最後の夕涼み列車は既報の通り十七日(土曜日)超流線型軽油列車で公主嶺までノンストツプで繰り出す、公主嶺の緑野では興をそゝるため宝探を催し列車内ではアイスクリームのサービス、出発は十七日午後三時三十分、かへりは午後九時三十分、会費
A組(夕食弁当付き)大人一円五十銭、子供一円
B組(夕食なし)大人一円十銭、子供六十銭、希望者は駅(二〇一六)ビユーロー(三三九三)まで
(昭和10年8月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
いよ/\お名残の夕涼み列車
明日賑やかに決行
(昭和10年8月16日付新京日日新聞朝夕刊7面=マイクロフィルム、)
清興・慰安の小旅行
地曳網や納涼列車・探勝会など
新京駅の催し各種
[新京]新京駅では一般市民のサービスのため過般來納涼列車を運転、好評を博したので更に各種の新計画を樹て具体案を練りつゝあるが大体次の如き催物が行はれる筈
納涼流線型 十七日(土曜)天気快晴だつたら本年最終の流線型納涼列車を同日午後三時半から公主嶺に向け運転、同地で広漠たる草原、牧場で折柄の夕陽を浴びて手踊或ひはビールの盃を交し一日の清遊を楽しまうといふ計画、特に当日は”宝探し”をして賞品を与へ和気藹々興味津々たる中に引揚げて新京へ
<略>
(昭和10年8月16日付満洲日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
土砂降り夕涼み列車
珍型の納涼
公主嶺駅ホームの盆踊り
雨に縁の深かつた今年の夕涼み列車は最後まで雨になやまされた、―本年掉尾の夕涼み列車は十七日午後三時半決行されたが流石の流線型も昨日の雨で冷気さへ添え、夕涼みなどおかしい程で、出すの出さぬのいつてゐる中にお客は満員となり、結局発車したはよかつたが何処までいつても雨はやまず、公主嶺駅では下車も出来ぬ土砂降りで車窓も閉めたまゝで納涼?が催され、待ちかねてゐた松竹の美給連はとう/\ホームで盆踊りを踊り超流線型な夕涼みであつた
(昭和10年8月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林観光客
募集
ビユーローで
(昭和10年9月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝団
忽ち申込殺到
きのふ遂に締切
(昭和10年9月20日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
総勢四百五十名か
大挙”浄月潭”へ
あす午前九時建設局集合
第二回は廿九日に
(昭和10年9月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
まずは帝都巡りに
遊覧気分を満喫
けふ腰站見学団賑かに出発
宛らパス・オンパレード
(昭和10年9月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
聴きしに優る
浄月潭風景讃美
秋の喜びを心ゆくまで満喫
本社後援腰站探勝終る
(昭和10年9月24日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
国都縦覧を兼ねて
第二回腰站探勝
いよ/\廿九日に
(昭和10年9月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林ゆき
観光団
(昭和10年9月27日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林で芋掘りと鵜飼見物<ビューロー広告>
(昭和10年9月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
ハイキングかねた
釣魚と狩猟大会
來月六日の日曜飲馬河畔で
本社後援、優勝カツプも出る
(昭和10年9月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
釣魚選手権大会
次の日曜飲馬河で
入賞者には銀カツプ
(昭和10年10月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
絶好の晴天に恵まれ
飲馬河釣魚盛会
(昭和10年9月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
内地観光団募集
(昭和10年10月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
湯崗子温泉行団体募集<ツーリストビューロー広告>
(昭和10年11月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
正月休み利用の
見学団募る
ビューローが上海、青島へ
(昭和10年12月12日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
狩猟天狗に
汽車賃割引
鐵道のサービス
(昭和10年12月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
昭和11年 ****************************
永沼挺身隊を偲び
十一日に慰霊祭
新京から特別列車を仕立てる
(昭和11年2月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
永沼挺身隊の慰霊祭
速に申込のこと
臨時列車を運転す
(昭和11年2月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
永沼挺身隊墓碑参拝団体募集<新京長勇会広告>
(昭和11年2月9日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
永沼挺身隊墓碑参拝団体募集<新京長勇会広告>
(昭和11年2月10日付新京日日新聞夕刊3面=マイクロフィルム、)
永沼挺身隊の慰霊祭に
(昭和11年2月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
行樂の春近く
お膳立も整ふ
華やかなプロ決定
三月も下旬には入るとそろ/\春の氣はいが動いて來る梢を渡る朔北の風はまだ身を切る程に冷たいがからつと晴れた大空は既に濃い青色を湛えて如何にも明るい約半歳に亘る長い冬の蟄居生活で憂鬱と不健康に青白く縮こまつた新京人士の前にのび/\とした行楽の春はもう目の前だ、新京駅団体係、ツーリストビユーローでは來る春のシーズンを目前に控へて準備万端に大童の体であるが此程漸く本年度行楽団体募集計画を決定、春のお花見、夏の清流に糸を垂れての魚釣り、秋の探勝と温泉行等々そのお膳立も仲々華やかである、行事表を示せば次の通りである
種別 行先 月日 人員
△観桜団体 大連 五月上旬 二十名(又は四月下旬)
△お花見団体 郭家店 五月上旬 二百名
△遊覧舟遊鵜飼団体 吉林 四月下旬 二十名
△同 同 六月下旬 五十名
△同 同 九月下旬 二百名
△観光団体 ハルピン 六月 三十名
△同 同 七月 三十名
△同 同 九月 三十名
魚釣団体 飲馬河 五月中旬 四十名
△同 同 八月下旬 三十名
△同 陶頼昭 五月中旬 五十名
△同 同 八月上旬 五十名
△納涼列車 大屯 自七月上旬
公主嶺 至八月中旬 六百名
△探勝団体 金剛山 十月上旬 二十名
△温泉行団体 熊岳城湯崗子 十月中旬 二十名
△農事試験場見学 公主嶺 十月上旬 五十名
●吉林鉄路局協同主催
△北山廟会 六月中旬 百名
△イチゴ狩 土們嶺 七月上旬 百名
△甘藷狩 同 九月中旬 百五十名
△北鮮朱乙廻り 十月上旬
なほこの外に秋の鈴蘭狩りも目論まれ、陶頼昭の魚釣り、湯崗子の温泉行は本年の新し
い計画で昨年中止の金剛山探勝は今年は実現の筈である
(昭和11年2月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
旅は汽車に乗つて
新京駅のサービス
本年の旅行団募集プラン決定
新京駅では例年旅行団を募集し、
市民の慰安に努めてゐるが、本年
は馬力をかけて参加者を満足させ
る計画を進めてゐたところ、この
程盛り沢山のプロが決定した、本
年度の主なる計画は次の通りであ
る
行先 期日 人員
観桜団体 大連 五月上旬又
四月下旬三〇名
お花見団体郭家店五月上旬二〇〇
遊覧舟遊鵜
飼団体 吉林 六月下旬 五〇
九月下旬二〇〇
魚釣団体 飲馬河五月中旬 四〇
八月下旬 四〇
同 陶頼昭五月中旬 五〇
八月上旬 五〇
納涼列車 大屯、公主嶺
自七月上旬 六〇〇
至八月上旬 二回
探勝団体 金剛山十月上旬 二〇
温泉行団体熊岳城十月中旬 二〇
湯崗子
農事試験場見學
公主嶺十月上旬 五〇
尚ほ以上の外吉林鉄路局と連繋し
ての募集計画は
北山廟会 六月中旬(例年の通り
列車内福引あり臨時列車
運転)
苺狩(土們嶺)七月上旬 一〇〇
甘藷狩り 九月中旬 五〇
北鮮乙朱廻り 十月上旬
(新鮮な魚、松茸狩、羅津埠頭見
学)
以上の中、あたら絶好の魚釣地と
して知られてゐる陶頼沼はこれ迄
危険のため行くことが出來なかつ
たものだが最早危険もないとして
今年初めての募集である
(昭和11年2月16日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、)
桜花咲く日本へ
満人の観光団招く
(昭和11年3月5日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、)
花の日本への
満人観光団
忽ち定員を突破か
(昭和11年3月8日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、)
訪日満人観光団
申込み殺到
定員の六倍を突破す
(昭和11年3月19日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、)
來る十二日
競猟大会
京日線の沼地で
(昭和11年4月7日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
お花見団体に
汽車賃割引
鐵道の特別サーヴイス
(昭和11年4月7日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
満人・内地観光団
新京忽ち満員
他所よりひと足先に
(昭和11年4月10日付大新京日報夕刊2面=マイクロフィルム、)
花信來る!<横見だし>
大連星ケ浦行
観桜団体募集
來る五月二日午後四時出発
(昭和11年4月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大連星ケ浦へ
観桜団体
五月二日から四日間
(昭和11年4月22日付大新京日報朝刊2面=マイクロフィルム、)
郭家店の杏花は
八日頃が見頃
新京から割引列車を出す
(昭和11年4月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
行楽の春
新京中心の小旅行
(昭和11年4月29日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林行楽と郭家店お花見団体募集
(昭和11年5月3日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
郭家店行
花見団体募集
(昭和11年5月9日付大新京日報朝刊2面=マイクロフィルム、)
鴫、鷭、田鴫、鶉が
猟天狗を招く?
來る十七日陶頼昭で競猟大会
(昭和11年5月13日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大屯の春は酣<横見出し>
來る廿四日日曜日
ハイキングは如何
往復大人四十五銭、子供卅銭
山の頂で宝探し
(昭和11年5月17日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
空は青いぞハイキング
新緑のオゾン地
大屯阜豊ケ丘行の日は迫り
申込み殺到の盛況
(昭和11年5月21日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社、駅
T・B主催 ハイキング
宝探しの賞品山積
待たれる廿四日の大屯行き
(昭和11年5月22日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
宝探しのお楽しみに
写真撮影券寄贈
申込み締切はけふ正午まで
大屯ハイキング明日!
(昭和11年5月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社主催 待たれた<横見出し>
大屯行ハイキング第二班を募集
申込殺到定員突破の為
(昭和11年5月24日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大屯ハイキング
けふ賑かに出発
宝探しに一行大はしやぎ
(昭和11年5月25日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
郊外唯一の別天地
浄月潭水境探勝!(社告)
(昭和11年5月27日付新京日日新聞朝刊1面=マイクロフィルム、)
郊外唯一の別天地
浄月潭水境探勝!(社告)
(昭和11年5月27日付新京日日新聞朝刊1面=マイクロフィルム、)
家族づれの清遊に
鈴蘭薫る浄月潭行
定員三百五十名の團体募集
來る七日本社の催し
新京 を距る凡そ二十
ニキロ都塵を離
れて全くの別天地である、浄
月潭水源地は昨年本社の第一
回見學団派遣とゝもに一躍、
新京郊外第一の景勝地と謳は
れるに至つたが、殊に若草萌
ゆるけふ此頃あの水面鏡の
如き水源地一帯を囲む山々に
は鈴蘭を始め野生の百花入れ
乱れて咲き誇つてゐるといふ
快ニユース――この便りに接
した本社では國都建設局並に
新京交通会社と打合の結果、
本年ば更により大規模の見学
団組織を計画し、いよ/\來
る六月七日(日曜日)を期し
盛大に決行する事となつた
一行 の定員は三百五
十名、これに當
日係員その他を加えて約四百
名の大団体でこれをバス廿台
に分乗し午前九時新京を出発
し、午後三時同水源池を引揚
げて帰路につくが、この行程
パスで約一時間、この間南嶺
から京吉国道、伊通国道を経
て腰站へ途中郊外の春色を賞
でつゝ水源地では黄塵の新京
とは打つて変つた四方の風景
に見惚れながら、そこには特
に一行のために用意された各
種の余興に打ち興じ、晩春の
一日を心ゆくまでに相楽ませ
やうというのである、當日の
余興 としてはコロン
ビアの新譜紹介
を兼ねてレコード音楽會、宝
探し、福引には賞品をどつさ
り、またお子さん達にはそれ
/\゛お土産も沢山用意してあ
る、日頃は鵬群の籏むにまか
せて静寂そのもの、永源地も
當日は華かなジヤズの伴奏と
ゝもに男女の探勝客でお祭の
やうな賑ひを見せるであらう
申込は五日限りとなつてゐる
が定負に満ち次第締切ること
になつてゐるからせい/\゛早
く申込まれたい(詳細は社告
参照のこと)
(昭和11年5月27日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
第二回大屯行
來る三十一日
申込は駅又はビユーローへ
(昭和11年5月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
第二回大屯ハイク
今朝賑やかに出発
(昭和11年6月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
春は楽しこの饗宴
第二回大屯行!
都会のオアシス阜豊山の賑ひ
(昭和11年6月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
<大屯ハイキングの同行記、ジンギスカンなし>
浄月潭へ浄月潭へ
余興も盛り沢山
第一の呼物は奇想仮装競争
果然申込み殺到す
(昭和11年6月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
蕨も出初めた
鈴蘭は花盛り
探勝団を待つ別天地
(昭和11年6月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
ダンサー連出場
人気を呼ぶ変装競争
宝探しの一等は白米一俵
浄月潭探勝迫る!
(昭和11年6月4日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
お土産も沢山
各方面から続々寄贈
(昭和11年6月4日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
変装競争と発見者の心得
午後一時から開始
(昭和11年6月4日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
郊外唯一の別天地
浄月潭水境探勝!(社告)
(昭和11年6月4日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
大屯娘々祭
明日から六日間臨時列車運転
(昭和11年6月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
浄月潭参加申込み
既に三百名突破
福引一等は美術置時計其他
けふ愈よ締切り
(昭和11年6月5日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
呼物の変装競争
さて誰でせう?一行五百五十名あす浄月潭へ
午前八時半大同広場集合
(昭和11年6月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
春緑を逐ふ者<横見出し>
すべて五百
廿五台のバスに分乗
喜々と水郷へ
本社主催浄月潭探勝
(昭和11年6月8日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
飲馬河第二回
釣魚団体募集
來る十四日挙行!
(昭和11年6月13日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
駅・T・B主催
吉林観光団
(昭和11年6月20日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
スンガリー江上の
花火見物へ!
七月一日を期し団体募集
(昭和11年6月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
ハルピン視察団体募集<広告>
(昭和11年6月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
ハルピンでは
川開き
申込み殺到
(昭和11年6月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
この夏は連山関へ
サンマーハウスの準備なる
治安も懸念なし運賃も割引
(昭和11年7月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
”サーサ行こうよ”
いちご狩りに
来る十二日に団体募集
(昭和11年7月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
あすの日曜は飲馬河
第2回釣魚大会
駅、T・B主催本社後援で
(昭和11年7月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
苺狩り出発
(昭和11年7月13日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
一尾二百十匁の
大鯰が大物賞
本社後援飲馬河釣魚大会の結果
(昭和11年7月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
猟奇の港、芝罘
見学団を募集
ビユーロー夏の計画
(昭和11年7月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
酷熱下の都民へ贈る [駅・TB主催 本社後援]<横見だし>
納涼、水浴両列車
土日曜に公主嶺や松花江へ
愈よ廿五日から開始
酷熱に喘ぐ市民お待ちかねの納涼列車は本年も新京駅、ピユーロー主催、本社後援でいよ/\來る二十五日から八月末日まで毎週土曜日、公主嶺大屯の廣野で大々的に催ほすことになつたが本年は納涼列車とともに之と趣をかへた水浴列車を京浜線松花江々上まで毎週日曜日に運行する案が決定、來月一日、二日は旧暦六月十四、十五日の満月を利用して観月大会をかねて納涼水浴列車を催される、一夕の涼をもとめる市民たちから家族づれの申込みが殺到するものと係員一同大準備中である
▲納涼列車第一回は二十五日(土曜日)午後四時三十分新京発公主嶺へ、かへりは午後十時十九分、会費は大人一圓三十銭小供、八十銭
▲二十六日(日曜日)の第一回水浴列車は午前九時新京発松花江へ松花江では水浴ボート遊び(ボート数隻用意あり)で北満の涼氣を満喫し午後七時四十五分発新京に帰着、会費は大人二円二十銭小供一圓十五銭会員はいづれも二百名限り、希望者は駅(三−二〇一六)ビユーロー(三−三三九三)まで至急申込みのこと、尚公主嶺ゆき納涼列車には日本ポリドール蓄音器会社の応援でレコード美女の出張サーピスがある
(昭和11年7月22日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
廿五、六日を利用
陶頼昭釣魚大会
駅、ビユーロー主催本社後援で
(昭和11年7月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
戦跡見学と海水浴へ
旅順行団体募集
(昭和11年7月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
爽快納涼列車
早くも申込み殺到
美女、美給もサーピスに出張
二十五日公主嶺ゆき納涼列車申込みは早くも新京駅、ピユーローに押かけ新京から既に六十名を突破しその他沿線からの申込みも相當あり断然人氣を博してゐる、希望者は至急駅ビユーローまで申込まれたい、(会費は大人一円三十銭小供八十銭)なほ當日はポリドール畜音機会社の美女や満鉄綜合事務所食堂美給出張サーピスで手踊り、音頭、弁当すし、おでん、焼鳥、ピールサイダーその他模擬店ありかへりには一人々々岐阜提灯一つづゝあります
(昭和11年7月24日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本年最初の納涼列車
愈よ 今夕公主嶺へ
納涼踊りやレコードて賑ふ
【既報】駅、ピユーロー主催本社後援第一回納涼列車はいよ/\今夕四時半新京駅発公主嶺に向ふことになつたが、車内には雪洞や青葉で涼しく飾り立てられポリドール会社のレコードコンサートに耳かたむけてピールにサィダー、アイスクリームに舌鼓を打ちながら午後五時四十二分深緑の公主嶺に到着こゝでは夕陽を浴びてのんびりと放たれた羊や馬を追ひ廻し三々伍々に円坐を囲んで美給たちの納涼踊りやレコード演奏等余興がくりひろげられ綜合事務所食堂出張のおでん、すし、ビール、サイダーその他の模擬店か開かれ涼味を満喫して午後十時十九分新京着で帰京するが希望者は本日正午までに駅(三−二〇一六)ピユーロー(三−三三九三)へ至急申込れたい会費は大人一円三十銭小供八十銭
(昭和11年7月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
深緑を褥に
公主嶺を満喫
本社後援 納涼列車出発
新京駅、ツーリスト・ピユーロー主催、本社後援の第一回公主嶺行納涼列車は団員八十名を得ポリドールの演奏になまめく雪洞の影も涼しく、廿五日午後四時卅分涼線切つて新京駅を進発した、炎熱の都塵を後に景勝の地公主嶺の深草を褥に豪華な大円座を敷き美女が舞の手振り雅びた納涼踊りに賑やかなレコードコンサート、おりからの夜空にかゝる三日月影も面白く、左党には事欠かぬ綜合事務所食堂出張のおでん、ピールの模擬店も張られ今宵こそ全く三伏の夏を知らぬ萬斛の涼味を涌喫することであらう、なほ一行の新京帰着は午後十時十九分となつてゐる
(昭和11年7月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
<午後4時新京発、公主嶺ではジンギスカンなし、27日朝刊欠落のため実施状況は不明>
國際都市夜の横顔を
見に参りませう
愈よ二十六日午前出発
新京駅、ツーリスト・ビユーロー共催、本社後援の松花江水浴團体行もいよ/\明日に迫り非常な好評を呼んで申込者殺到、係員も転手古舞ひの有様であるが國際都市の夜の横顔を見物、殊にこの催しの視所である風光絶佳、水清い松花江上のボート遊びに水浴は酷熱に喘ぐ都人にまたとなき慰安の催し物であらう、既報の通り出発は二十六日午前九時十分、帰着は午後七時四十五分で会費は大人二円二十銭子供は一円五十銭である、希望者は早速新京駅(電三−三二七六)ツーリスト・ピユーロー(電三−三三九三)まで申込まれるとよい
(昭和11年7月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
旅順の海辺へ
海水浴は如何?
本社 廿九日新京発団体募集
後援
(昭和11年7月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
来る十五夜の月は
納涼列車に乗つて
趣向の面白くサービス満点の
本社後援 第二回公主嶺納涼大会
素晴しい人気を呼んで去る二十四日(土曜日)華々しく第一回をスタートした駅、ツーリスト・ビユーロー共同主催本社後援の真夏の寵児“納涼列車”はいよ/\
來る 八月一日(土曜日)第二回を挙行、盛沢山の新趣向を凝らして大々的に参加人員を募集する事となつた、目的地は第一回同様好評だつた新緑薫る公主嶺の山麓、出発は一日午後四時三十分、雪洞、青葉に粉飾された車内は文字通り清爽の感が横溢し、涼風を入れながら満鐵綜合事務所食堂並びにポリドール蓄音器会社の溌剌とした娘さん達のサービスにビール、サイダーの清鮮な感覚も列車の階調とレコードコンサートの奏でるのどかな旋律に一段の甘美さを見せ浮き立つ車窓に展開する見事な景色に酔ふこと約一時間(五時四十二分)でめざす公主嶺に辿り着く、暮色に早い山陵地帯の山の端に夕陽が引くあかね空も漸く落ちればスイ/\と緑の草面を洗ふ涼風が地平に湧きキラメキ始めた宵星に呼応して樹間に艶美な雪洞、岐阜提灯に灯がともつてこゝに豪華な納涼大會が静かな山気を揺がして繰り展げられるのである
今回 は特にこの納涼大會の白眉たる納涼踊を盛大にし景気を煽るため大太鼓を用意高く巨木に吊しレコードコンサートと共に打ち鳴らすが同夜は恵まれた舊暦十五日だ、玲瓏たる十五夜の名月艶麗な雪洞に浮く緑の影光、トウ/\たる鼓声につれこ妖しき美女給を中心に踊り抜く當夜の幽雅な納涼踊の感興こそまさに床しい月見踊りであり一大盆踊りを彷彿せしめるものがあらう、更に第一回に見られたかつたサーピスとして子供連中には涼味と華麗満點と言ふ線香花火の進呈があり、参加者全員にお土産として見事な岐阜提灯が配られる、更に満織綜合事務所食堂部出張の模擬店では辨當、寿司、おでん、焼鳥、ビール、サイダーの類が売られ、左、右両党何れにも準備萬端整つてゐる、納涼列車に兼ねる折柄の月見列車のこととて物凄い
人気 を呼ぶことゝ予想されるが家族連れにアベツクにこの好機を見逃すことなく希望者は満員にならぬうちに新京駅(三−三二七六)、ツーリスト・ビユーロー(三−三三九三)まで申込まれるとよい、會費は前回同様大人一円三十銭、子供八十銭、新京帰着は午後十時十九分である
(昭和11年7月29日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
公主嶺行納涼列車
申込み者殺到
十五夜の月は是非公主嶺で
サービスにビユーロー専念
既報、駅、ツーリスト・ピユーロー共同主催、本社後援になる八月一日(土曜日)の第二回公主嶺行納涼列車は當日があたかも
満月 の十五夜に当り涼風に揺ぐぼんぼり、青葉に粉飾されたこの納涼列車は文字通り感興深い風雅な観月列車ともなることゝて一しほの人気を呼んで発表依頼申込者相継ぎすでに七十五名を突破するの盛況さである、晴れた夜空に輝く皎々たる十五夜の満月に美麗な雪洞の緑影、涼風渡る草波蹈んで巨樹高く打鳴らすトウ/\たる鼓声とレコードコンサートにつれてこの幽妙境に踊抜く美形中心の圖陣踊りはお国情緒そのまゝに豪華な一大盆踊りを彷彿せしめるものがあり、美女給のサービスに月下に酌む観月饗宴の感興とその盛大さがしのばれる、酒、ビール、おでんと言つた類は満鉄綜合事務所出張の摸擬店で売られ子供には線香花火、参加者全員にはお士産として岐阜提灯のサービスがある
會費 は僅か大人一円三十銭、子供八十銭、出発は一日午後四時三十分、帰京は同日午後十時十九分である、希望者は締切りにならぬうち早速新京駅(三−三二七六)、ツーリスト・ビユーロー(三−三三九三)まで申込まれるとよい
(昭和11年7月31日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
新京人を待つ公主嶺の高原<大きめの写真のみ>
(昭和11年7月31日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
<木立の手前に女性2人が立っている。服装から春のピクニックの際撮影したと見られるもの>
今夕は納涼列車で
公主嶺の月見に
申込み締切はけふ正午まで
新京駅、ツーリスト・ピユーロー共同主催本社後援の夏夜の寵児”観月列車”を兼ねる第二回公主嶺行納涼列車はいよ/\本日午後四時三十分清涼一色に塗りつぶされた姿態をもって颯爽と新京駅を出発するが、費用の低廉なこと當夜があたかも満月の十五夜に當り、太鼓レコードの賑やかな囃子に踊る名調子の納涼踊りも一段の冴へと感興を思はせるところより風流子の申込殺到早くも百二十名を突破しうだる炎天下に係員は汗だくの応接ぶりであるが希望者はこの好機を逸することなく締切りに遅れぬやう本日正午までに新京駅(三−三二七六)ツーリスト・ビユーロー(三−三三九三)までに申込まれたい破格のサービスのあることは既報の通りであるが費用は僅か大人一圓三十銭、子供八十銭で當地には摸擬店の準備あり新京帰着は午後十時十九分である
(昭和11年8月1日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林観光客に
団体割引き
十月三十一日まで
(昭和11年8月2日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
第二回納涼列車
無事終了
新京駅、ツーリスト・ビユーロー共催、本社後援の第二回公主嶺行納涼列車あh参加人員二百五十名を突破する盛況さで一日午後四時三十分賑やかに新京駅を出発、豪華な納涼踊りに、月下の酒宴に鮮かな夜の山気を湧き立たせながら一同歓を尽して同十時十分無事帰京した
(昭和11年8月3日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
來る十五日は
是非旅順へ!
本社 海水浴列車団体募集
後援
(昭和11年8月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
あすの日曜日は [本社後援]
一間堡の野へ
釣魚大会と家族慰安会
(昭和11年8月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
夏季行楽の掉尾
更に二つの催し
一間堡釣魚大会と旅大廻遊
(昭和11年8月13日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本年掉尾の納涼列車
十五日范家屯へ 本社後援
美女を中心の納涼踊りに
昭和十一年の夏とお別れ
(昭和11年8月13日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
夏季行樂の掉尾
更に二つの催し
一間堡釣魚大會と旅大廻遊
(昭和11年8月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
范家屯行
納涼列車中止
(昭和11年8月15日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
一間堡釣魚に
元気で出発
(昭和11年8月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
清流に初涼を惜む
一間堡釣魚大会
ピクニツク兼ね廿三日開催
(昭和11年8月22日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
婦人のための催し
秋の山遊び大会
廿一日大屯山で
(昭和11年9月14日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
国都の逝く秋を
浄月潭に探らう
本社主催来る廿七日探勝会
満山秋色、我等を待つ
(昭和11年9月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
秋の名残り惜しむ
浄月潭探勝会
本社主催来る廿七日を期して挙行
(昭和11年9月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
カメラ班も参加して
賑やかな清遊行
宝探し、福引等盛沢山な余興
浄月潭探勝会
(昭和11年9月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
秋色の浄月潭探勝
申込みはお早く
余興に宝探し、福引、運動会
(昭和11年9月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
誰が捜探し当るか
一等に白米一俵
余興に宝探しに賑はふ浄月潭行
愈よけふが締切り
(昭和11年9月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝
賑やかに出発
(昭和11年9月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
北鮮三港の視察兼ね
金剛山探勝団
ビユーローで募集
(昭和11年9月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
来る四日は
ハルビンへ
ビユーローで見学団募集
(昭和11年10月1日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
来る十一日の日曜は
小八家子見学へ
未だ匪襲を受けたことのない
満洲一の平和境見学団募集
(昭和11年10月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
王道楽土の具現
模範農村小八家子
法悦に育まれた天主教徒の群
本社主催 見学団募集
(昭和11年10月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
小八家子見学の
コースと時間
申込み殺到、締切は十日午後
(昭和11年10月8日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
素朴な信仰の部落
小八家子の見学
秋の行楽兼ねて十一日挙行
本社 申込み続々殺到
主催
(昭和11年10月8日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
小八家子見学
申込明日限り
俄然人気湧いて定員近し
(昭和11年10月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団募集
愈よ今夕五時締切り
(昭和11年10月10日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
小八家子見学
出発は九時半
午前九時すでに集合の事
(昭和11年10月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
逝く秋を惜しんで郊外へ
押出した人群
小八家子、飲馬河、吉林、等へ
(昭和11年10月12日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
王道楽土の標本
小八家子を訪ふ
紳士、淑女総勢百五十名
(昭和11年10月12日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
南へ北へ秋を求めて
新京駅は大賑ひ
釣天狗連は飲馬河
(昭和11年10月12日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
スキー団体客に
吉鐵が運賃割引
十二月から来春二月まで
貸スキーも準備
(昭和11年10月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
スキーヤー喜べ!
吉林北山は好調子
十二月一日から団体割引
(昭和11年11月25日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
年末年始の休暇利用
支那視察団募集
ビユーロー主催で
三コースの景勝案内
(昭和11年11月28日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林の銀線
スキーに!<新京駅・ビユーロー広告>
(昭和11年11月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林スキー場開きに
参加団体募集
ビユーロー主催で五十名
(昭和11年12月3日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
次の日曜日には
北山スキー場へ
申込みはビユーロー迄
(昭和11年12月9日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
行け!北山スキー場へ
参加団体募集
申込みはビユーローまで
(昭和11年12月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
あすは待望の
吉林北山へ!
コンデイシヨンは上々
(昭和11年12月13日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
来春また
スキー団体募集
(昭和11年12月16日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
北支視察団
申込はお早く
(昭和11年12月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
支那旅行参加者
(昭和11年12月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
昭和十一年の回顧
視察、見學團の洪水
國都の玄關新京駅 (中)
観光協會の出現と駅食堂
満洲建国以來内地各地からの
満洲視察団体は毎年解氷期が
待ち切れず潮の如くに押寄せ
て來るが、本年も四月
解氷期と ともに急
激に視察
旅行團の來京が増加して四月
には學生團体の百十四個團体
八千八百四十六名を筆頭に産
業視察団、府縣会議員その他
合計百四十一個団体、人員に
して実に一萬九十五名といつ
た新京否長春始つて以來の新
レコードを作つた、一ケ年を
通じて(十一月迄)來京視察
団が五百卅四個団体、三萬七
千三百七十一名、之を前年同
期に比較すると百卅九個団体
一千八百四十八名の増加、い
ずれも新京駅団体係で宿屋の
割当て、案内、辨當等の世話
をしてやつて來たのである
なほこの外に新京駅では旅客
誘致策として春の星ケ浦観桜
会、郭家店の花見團、吉林遊
覧団、大屯のハイキング、松
花江ピクニツク、吉林行楽団
夏の飲馬河釣魚大会、ハルビ
ン視察団、土們嶺の莓狩り、数
回に亘る納涼列車、秋の金剛
山探勝団、龍潭山の紅葉狩り
とツーリスト・ピユーローと
共同主催で新京から団体募集
の世話したもの実に卅五回、
二千八百卅九名に達し前年度
と比較しても五回、二千名の
増加を示してゐる、なほこゝ
に申し添へておきたいことは
駅の乗車券発売、視察団体の
案内、旅客誘致等の旅客扱ひ
の補助機関として設けられて
ゐるジヤパン・ツーリスト・ビ
ユーローの活躍振りである、
前記旅行団募集には常に駅又
は鉄路局と協力し或は今秋新
設された
観光協会 と密接な
連絡をと
つで國都における観光事業に
助力したことである、更にツ
ーリスト・ビユーローとして
取扱つた旅客数をいへば一月
から十月までに満洲人九萬四
千八百四十六名、日本人五萬
五千百六十八名、英、米、独
露、佛の外國人合せて九百十
五名で総計十五萬九百廿九名
に達しこの外団体が学生団体
一般団体合せて三百八個団体
一萬五千五百五十名である
次に国都 における
観光事業
として画期的進歩ともいふべ
きことは本年八月新京観光協
会の創設であらう、同協会は
創立早々日尚浅いにも拘らず
交通会社の遊覧バスの計画、
浄月潭見学団募集、観光写真
募集等々の事業を起し新京
の名所、旧跡の紹介に大なる
仕事に着手したことである、
交通会社の遊覧バスは九月、
十月の二ケ月運行されたがそ
の間の乗客が九月に四百三十
二名(料金六百二十一円七十
五銭)十月五百四十二名(料
金六百四十七円五十銭)の成
績を挙げそのうち使用者は内
地からの視察旅行者が最も多
く次は新京市民、大連、奉天
のお客の順となつており遠く
は上海 アメリカからの旅客
も中に加つてゐたことも面白
い、なほ新京駅構内営業とし
て満鐵が直接営業してるる
構内食堂 の本年度
における
営業振りを見るにこれ亦旅客
の激増と正比例して毎月五、
六千円多い月には九千四百余
円まで揚げてゐる、同食堂は
前述の如く二月三日から四月
二十一日まで約一ケ月間は旧
食堂の拡張工事のため地下室
に仮食堂を営み紅茶その他数
種類に限定されてゐた、その
ため前年度に比して三月は二
百二十九円、四月は六百六十
円のそれ/\゛滅収をみてゐる
が他の月はいずれも前年度よ
り遙かに売れゆきよく新装な
つた現在の食堂が開業した五
月には旅行シーズンと相俟つ
て八千円近くまで収入をあげ
八月、九月、十月はいづれも
九千円台を突破の好成績を挙
げ、七月一日からは新しい試
みとして「すし」の立販売を
やつて旅客の嗜好に応じてゐ
るがこれまた非常な好評を博
して來た、構内食堂の利用者
数は例月一日平均五百名乃至
六百名近くに及んで一月から
十一月までの総収入高七萬九
千八百六十六円となりこれを
前年同期に比して一萬四千八
百十六円の増収になつてゐる
なほ本年十月の鐵道一元化に
基く職制改正で新京構内食堂
は大連食堂営業所新京支所の
名称に改められて第一次的に
は大連食堂営業所第二次的に
は鉄道総局営業局旅客課の直
接監督下に属することになつ
た
(昭和11年12月16日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
昭和12年 ****************************
新京駅を中心の
本年の観光計画
駅、ビユーローの協議で
スケジユール決定
國都における観光事業促進、
旅客誘致事業も
一手 に引うけてゐる
新京駅、ツーリ
スト・ビユーローでは例年共
同主催で郊外ハイキング、吉
林遊覧、花見と続いて旅行団
の募集に全員努力して來たが
本年度も更に拍車をかけ有効
實質的な旅行團の募集を計画
して二十七日午後一時からツ
ーリスト・ビユーローで新京
駅小谷事務主任、酒井助役、
中島、鈴木団体係、ピユーロ
ー田口、本村正副主任、依田
団体係等関係者が會し來年度
共同主催団体募集計画打合會
を開き、四月から來年三月ま
でに三十余回の各種各様興味
本意の団体募集の計画を決定
したが、中でも
▲四月三日、四日の日曜祭
日を利用して昭和製鋼所見
學▲四月上旬満洲人訪日視
察團三回六十余名▲五月十
六日飛行機による吉林遊覧
▲七月中旬ハロンアルシヤ
ン見学▲八月中旬佳木斯見
學
等■■■■■■■<印刷不鮮明で読めない>ての團体見
學で旅行フアンを喜ぱせてゐ
る、なほ
決定 した本年度のス
ケジユールは次
の通りである
施行予定日 團体種別
四月三四日 昭和製鋼所(
湯崗子入浴)
四月中旬 満洲人訪日視察
団
五、二 安東観櫻
同九 郭家店花見
同一六 吉林遊覧団(飛
行機による)
同二三 大屯ハイキング
同三〇 同
同 飲馬河釣魚団
六月上旬 北支視察団
同六 松花江ピクニツ
ク
同一三 王府見學
同二〇 昌図天橋山ハイ
キング
七、一 ハルピン花火大
會
七月中旬 ハロンアルシヤ
ン
七、四 土們嶺莓狩団
同二五 陶頼昭猟大會
七月中旬 納涼列車
七、一八 龍首山ハイキン
グ
八、一 納涼列車
同八 一間堡釣魚団
同一五 ハルピン日帰り
団
八月下旬 佳木斯
九、一九 金剛山探勝団
同二六 同
一〇、三 龍首山ハイキン
グ
一二、五 十家堡競猟団
一月上旬 白城子狩猟団
二、一一 永沼挺身隊記
念碑参拝
二月中旬 吉林スキー団
(昭和12年1月29日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
永沼挺身隊墓碑参拝
臨時列車運行
運賃は往復五割引
(昭和12年1月31日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
旧正月休暇利用し
猛獣狩猟会
目下会員募集中
(昭和12年2月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林スキー協会発会式へ
参加団体募集
申込
みは 駅、ビユーローへ
(昭和12年2月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
日本観光団
新京は定員突破
(昭和12年4月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
訪日新京班
第一班あす出発
(昭和12年4月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
日本視察団で
新京駅ごつた返し
(昭和12年4月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
一足お先に、之は
カメラハイク
九日杏花の郭家店へ
(昭和12年5月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
空、陸路を併用して
水都吉林を遊覧
十六日、駅ビユーローの主催で
(昭和12年5月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
杏花の日曜日に
臨時列車を運行
九日、郭家店花見団体募集
(昭和12年5月5日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
あすは郭家店へ
新京発は午前九時
申込み者七百名を突破
(昭和12年5月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
杏花観賞列車
(昭和12年5月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林遊覧団体
空路はきのふ締切り
汽車利用者も申込みは早く
(昭和12年5月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林遊覧鐵道班
定員増加、早く申込を
(昭和12年5月15日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
行楽日和のあす
吉林遊覧に
三班に分れて出発
(昭和12年5月16日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
水辺に新緑は招く
浄月潭に探勝会
一日の清遊に盛る”健康譜”
本社主催 六月六日を期し決行
(昭和12年5月21日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大屯娘々祭に
割引臨時列車運転
(昭和12年5月24日付新京日日新聞朝刊4面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝会申込み
けふから受付け
本社
主催 成る可く早く申込み下さい
(昭和12年5月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大屯の娘々祭
愈よあすから
臨時列車間断なく往復
(昭和12年5月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
けふから娘々祭
大屯へ/\!
各列車とも超満員
(昭和12年5月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
新緑の土們嶺へ
ハイキング団体
卅日の日曜日に百名を募集
(昭和12年5月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
満洲情緒を讃へる
娘々祭りはじまる
(昭和12年5月27日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
娘々祭列車
超満員
(昭和12年5月28日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
ハイキング案内(二)
緑風の浄月潭と
近郊の四行楽コース
(昭和12年5月29日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝会
申込みは早く
本社主催 各方面からの寄贈山積
(昭和12年5月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
ハイキング案内(三)
爽涼の大屯へ!
青芝の絨氈に咲き乱れる草花
(昭和12年5月30日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
行楽の旅客で
各列車超満員
(昭和12年5月31日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
ハイキング案内(四)
公主嶺の放牧と
水郷・劉房子の清興
○公主嶺ハイキングコース
新京より六十二粁、往復一
円九十銭
家族向
イ、粁程 七粁七二〇米
ロ、道程 平坦道
ハ、時間 四時間
・名所旧跡視察場所・
農本国たる満洲國の農業開発
の為不断の努力を継続し満洲
国農業の動向に対し重大なる
示唆を投げかけつゝある農事
試験場を視察しそれより放牧
地に到り放牧羊群のあるエキ
ゾチツクな風景を愛で南嶺の
勇士倉本少佐の忠魂碑に詣で
季節ともなれば農業學校にて
トマト、茄子、生瓜等の土産
物を買入れそれより水源地を
迂回し駅に帰還する
○劉房子ハイキングコース
<略>
(昭和12年6月1日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
來る六日の日曜日は
水郷浄月潭へ
鈴蘭の芳香宝探しは俟つ
(昭和12年6月2日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
飲馬河の
川開き
六日釣魚大会
(昭和12年6月2日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝<社告>
(昭和12年6月2日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝<社告>
(昭和12年6月4日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝の会員の
追加申込みの受付
美給踊子のモデル軍を動員
カメラ班(四十名限りも募集
(昭和12年6月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝會申込み
五百名を突破
美女群動員、愈よあす決行
(昭和12年6月5日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
鮮緑の浄月潭へ
愈よあす探勝会
集合は朝九時半、国都建設局前
(昭和12年6月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
飲馬河釣魚會へ
太公望連出発
(昭和12年6月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
新緑滴る水郷へ
バスを連ねて今日待望の遊行
(昭和12年6月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
行楽日和に恵まれて
浄月潭行大賑ひ
写真作品は近く展覧審査會
(昭和12年6月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
來る二十日は
第二松花江へ
駅、ビユーローで団体募集
(昭和12年6月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
熱河北支 観光ルートの
鐵道。自動車賃割引
七月一日より発売
(昭和12年6月18日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
今度の日曜日には
清夏の大屯へ
本社でハイキング団体募集
(昭和12年6月22日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
ハルピン花火大会の
見物団体募集
七月一日新京発二日夜帰来
(昭和12年6月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
來月四日、13日は
苺狩りに
▽…本社主催郊外への手引き
(昭和12年6月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
涼風線を衝く
大屯ハイキング
ン者主催で二十七日挙行
(昭和12年6月24日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社主催 大屯ハイキング<横見出し>
炎熱と雑沓を
大屯へ逃れよ
申込みは駅、ビユーローヘ
(昭和12年6月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
大屯ハイキング
明朝十時半出発
申込みは八時迄に駅案内所へ
(昭和12年6月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
快晴に恵まれて
緑蔭招く大屯へ
ハイキング行賑やかに出発
(昭和12年6月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
今年も連山関に
サンマーハウス
七月から割引往復乗車券発売
(昭和12年6月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
真夏の国際都市情調
松花江煙火大会
駅、ビユーローで団体募集
(昭和12年6月29日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社主催 公主嶺へ納涼列車
来る三日夕刻
ノーストツプで
浴衣がけに団扇の夕涼み
炎暑と澄務に疲れた身心を涼風渡る緑の原に軽い沿衣がけで心ゆくまで涼まんと新京駅ジヤバンツーリストビユーロー並に本社では七月三日夕刻納涼列車を催すことになつたが天然美に恵まれぬ都会人の欲求を満たす企てと老若男女に歓迎され発表と同時に申し込み続々到來して居る、當日七月三日(土躍日)は午後五時五十分新京駅を発車し途中ノーストツプで一気に公主嶺に快走、一望千里の平原に建てられた櫓を中心にレコード三味、笛、太鼓の音頭で面白く納涼踊りに打ち興じつゝ各自思ひ/\の弁當に団欒し帰りはまた公主嶺から途中無停車の快速力で新京に十時半到着の予定で特に満鐵新京支社食堂が列車並に現地に出張してビール、サイダー、おでん寿司と子供さんのために菓子などの売店を開いてくれるほか列車内では無料でアイスクリームを御馳走し、お土産には力フエーミス東洋寄贈の団扇並に線香花火をもれなく呈上する、なほ列車の都合で百五十名以上は絶体増員出来ぬから満員とならぬうち至急新京駅(三−三二七六)またはビユーロー(三−三三九三)へ申し込まれ度い、会費は特に大衆向きに大人一圓二十銭小人七十銭と云ふ奉仕的な廉価である
(昭和12年6月30日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社主催第一回納涼列車<横見出し>
来る三日の夕は
涼を公主嶺へ!
午後五時五十分新京駅発
帰りは午後十時半
酷暑に喘ぐ市民に本社がおくる第一回納涼列車は三日(土躍日)の夕方から浴衣に団扇姿でボンボリを飾り繞らした納涼臨時列車で草原溢れる羊の群を追ふ公主嶺へ、特別出演の美給連が踊る”妻恋道中”の手踊りやアイスクリーム、その他多数のお土産物のサービスあり、車内及び現場には売店で納涼辨當(四十銭)巻ずし(二十銭)その他ビール、サイダー、おでん、焼鳥、キヤラメル、チヨコレートなどの用意あり、かへりのお土産には農事試験場で出来た新鮮なトマト、キユウリその他の野菜類を廉売すると、希望者は至急駅(三−三二七六)ビユーロー(三−三三九三)までなほ会費は大人一圓二十銭、小供八十銭、出発は午後五時五十分かへりは午後十時半の予定である
(昭和12年7月2日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
公主嶺行納涼列車<社告>
出発 七月三日午後五時五十分
帰着 午後十時三十分往復共特別列車―途中無停車、車中アイスクリームサーピス
会費 大人一円三十銭、小人七十銭 百五十名限り
催物 大櫓を建てレコード、三味線、笛、太鼓の音頭で納涼踊
売店 ピール、サイダー、おでん、寿司、菓子、果物
土産 線香花火、納涼団扇
主催 新京駅 ジヤパンツーリストビユーロー
新京日日新聞社
(昭和12年7月2日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
涼線”公主嶺”へ
納涼列車超満員
明夜六時廿分発列車で出発
更に日曜日も運転
本社主催の公主嶺ゆき第一回納涼列車は断然人氣を博して申込み者が殺倒し、土曜日一回では無理があるので急に豫定を変更して土曜、日曜の両日に分けて催すことゝなり、列車は鐵道事務所の心づくしで煙を噴かない涼しそうな軽油動車を都合することになつた、なほ新京発は三日、四日の午後六時二十分である、公主嶺着は同八時十分、公主嶺発同九時四十分、新京帰着同十一時三十分の予定
(昭和12年7月3日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
納涼列車延期
十、十一日に変更
本日決行の予定であつた公主嶺納涼列車は絶讃を得て超満員となり今明日二班に分け快スピードを誇る軽油動車で挙行することになつてゐたが相憎く雨のため明四日及び十日十一日に挙行することに変更した
(昭和12年7月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
降雨なき限り
苺狩りけふ決行
納涼列車は一週間延期
待ちに待たれた公主嶺の納涼列車は無情の雨に妨げられ延期の止むなきに至り四日挙行の予定のところ公主嶺よりの情報によれば昨日の雨のため遊覧地は水気多くたとへ本日晴れても納涼おどりその他の催しは到底不可能なので一週間延期して十日、十一の土曜日曜に挙行する事に決定した
また同様四日挙行する筈の土
們嶺の苺狩りは苺の都合もあ
るので降雨なき限り予定通り
決行、新京発午前十時半、帰
着は午後四時半である
(昭和12年7月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
土們嶺苺狩り
第一班今朝賑やかに出発
(昭和12年7月5日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
お土産どつさり
土們嶺苺狩りに賑ふ
第二班は七日挙行
(昭和12年7月5日付新京日日聞朝刊3面=マイクロフィルム)
苺狩り
第二回は七日
(昭和12年7月6日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
苺畑を全部開放
新京人を待つ
あす本年最後の莓狩り
(昭和12年7月7日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
公主嶺納涼列車
十、十一両日運転
余興、美給接待に情緒満点
相憎の雨に邪魔されて延期になつてゐた公主嶺納涼列車は愈よ來る十日、十一日両日軽快な軽油動車で催すことになつた、催物そのた予定の通りで浴衣がけで午後六時二十分ボンボリに飾り繞らされた特別列車で新京を出発七時五十五分羊戯れる緑の原、公主嶺に到着特別出演の美給連の手踊りや納涼音頭にうちくつろぎ農事試験場で出来た新鮮なトマトやキウリをお土産に十一時帰着の予定である、なほ車内及び現場には納涼弁当、巻ずしその他ビール、サイダー、おでん、やき鳥菓子果物の売店が出てサービスし帰りにミス東洋の粋な納涼団扇、線香花火を差し上げる、会費は大人一圓二十銭、小供七十銭で希望者は至急新京駅(三−三二七六)またはビユーロー(三−三三九三)へ申込まれ度い
(昭和12年7月7日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
苺狩りへ
喜々と出発
(昭和12年7月8日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
楽しかつた
苺狩り
(昭和12年7月8日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
納涼列車中止
本社が新京駅並にツーリストビユーロー提携して新京市民各位に贈る公主嶺行き臨時列車は鉄路総局操車の都合に依り十一日は中止の止むなきに至り遺憾乍ら無期延期となりましたからあしからず御了承願ひ上げます、なほ詳細は新京駅案内所へ御問合せ下さい
(昭和12年7月10日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム、同朝刊の7面と8面は13段組みのうち上部4段半が失われており、10日の納涼列車実施は不明。しかし下記の2記事から中止したとみられる)
霖雨至る
当分は続きさう
九十八度といふ最近稀らしい酷暑、市民を苦しめた国都の天候も九日夜半から一変して十日午前五時から降雨となり十一時頃までには十ミリの雨量がありなほ終日降雨が続いた、今日の降雨範囲は殆んど全満に及んでをり旱天に悲鳴をあげてゐた農民には正に一滴千金の慈雨として喜ばれてゐるなほ観測所の語るところによれば梅雨らしくもう数日はぐずつくものと見られてゐる
(昭和12年7月11日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
競馬延期
本日行はるべき第三次競馬第七日目は雨天の為日延べとなり、十一日行われることにな
つた。
(昭和12年7月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
秋空の下、土に親しむ
土們嶺お芋掘り
会員募集廿六日挙行
(昭和12年9月19日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
土們嶺り芋掘り
申込み殺到、定員は百五十名迄
盛況予想さる廿六日
(昭和12年9月23日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
清爽の初秋に遊ぶ
秋季浄月潭探勝会
来月三日期し三百五十名募集
(昭和12年9月25日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
土們嶺芋掘り
十月三日に延期す
(昭和12年9月26日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭
秋季探勝会
沢山な賞品の山
さて誰の手に
(昭和12年9月29日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭探勝会に
興添ふ美人探し
本社後援 申込み早くも殺到
(昭和12年10月1日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
冬籠りに備へて
絶讃湧く浄月潭、土們嶺行
あすは絶好の行楽日和
(昭和12年10月3日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭行、土們嶺芋掘
愈よけふ出発
申込みは出発前迄受付け
(昭和12年10月3日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
からり晴れた日曜日
浄月潭へ、土們嶺へ人気殺到
逝く秋の郊外風景
(昭和12年10月4日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
美人探し宝探しに
浄月潭行賑ふ
土們嶺芋掘もお土産山もり
(昭和12年10月4日付新京日日聞朝刊3面=マイクロフィルム)
好評の土們嶺芋掘り
第二回を挙行
來る十日百名を募集
(昭和12年10月8日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
小八家子見学団募集<ツーリストビューロー広告>
(昭和12年10月8日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
本社見学団<横見出し>
ぜひ一度は見よ
聖地小八家子
申込みはビユーローヘ
(昭和12年10月9日付新京日日聞朝刊2面=マイクロフィルム)
お芋掘りは?
十日新京駅の催し
(昭和12年10月9日付新京日日聞朝刊2面=マイクロフィルム)
土們嶺、小八家子行
愈よあす決行
申込は出発前迄受付
(昭和12年10月10日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
からり晴れた秋空
賑ふ行楽二つ
小八家子、土們嶺へ今朝出発
(昭和12年10月11日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
見学団から<横見出し>
”聖地の人々”の厚遇に
感謝の献金醵出
きのふの小八家子行
(昭和12年10月11日付新京日日聞朝刊3面=マイクロフィルム)
掘出した甘藷
収穫沢山、賑はつた土們嶺行
(昭和12年10月11日付新京日日聞朝刊3面=マイクロフィルム)
支那事変報告と武運長久祈願の旅
駅、ビユーローで団体募集
(昭和12年10月16日付新京日日聞朝刊2面=マイクロフィルム)
昭和十二年を顧みてE
國都伸展を物語る
新京駅の数字
本年も又驚くべき躍進(上)
伸びゆく国都断京の玄関口新
京駅は世紀の驚異と称せられ
る此の躍進満洲国の帝都を親
しく視察せんと東西南北四方
から訪れる五族協和の名にふ
さわしい国籍、風俗、言語の
異なれる幾多の旅客を毎日毎
夜無心に呑吐してゐる、「新
京、新京」の高き駅員の声で
迎へ汽笛の響で送る同駅の一
般旅客の乗降、春から夏への
シーズンに訪れる一般団体、
學生団体の取扱案内数、送迎
人のホーム入場、さては手小
荷物の発着数を調査して見る
時こゝにも躍進国都の姿が歴
然として現はれてゐるのであ
る、昭和十一年度は毎日ハン
マーの響を聞かないことが無
い程解氷期をも待たないで新
春早々から厳寒の歳末までも
夜を徹して新設、改装工事を
行ついゐたが、其の結果名実
共に国都の玄関口として恥づ
かしくない大新京駅を現出し
たが、其の一年間の歩みを顧
みるのも又昭和十二年の新京
を語るに必要であらう
先づ毎日の乗降客数は各々約
三千名、即ち六千名の旅客が
全満の各地から、懐かしの故
国へ、或は遠くシベリアを経
て欧州へと往来して幾多の人
生悲
喜劇 を醸しながらホームを賑はして
ゐるのであね、四、五月の観
光シーズンには其数が一日七
千名を突破してゐる日も有る
のは勿論団体客に依るもので
ある、では団体は如何なる数
字を示してゐるかを調べてみ
ると本年四月には完成近き帝
都の偉容を見学せんと潮の如
く押寄せた學生団体、産業視
察団、府県会議員其の他一般
団体合せて百四十八団体で長
春の昔より現在に到るまでの
新レコードを樹立してゐる、
これが夏季になると減少を見
せて涼風立ちはじめる秋とも
なれば再び数字が上昇して來
るので有るが、本年は事変の
結果幾分の増加を見たが例年
に比して淋しいのは致方無い
事實であらう、新京駅自体の
遊覧団体も事変の関係上昨年
よりも減少してゐるが、良き
補助機関として活躍してゐる
ジヤパン・ツーリスト・ビユ
ーローと共に主催で吉林のス
キー、星ケ浦観桜会、吉林遊
覧団、大屯のハイキング、松
花江ピクニツク、哈爾浜視察
団、土們嶺の芋掘り、夏季の
納涼列車、全満忠霊塔巡りと
旅客誘致上多大の効果をあげ
た、次にこれ等旅客の送迎の
為ホームに入る者が毎日千八
百名から多い日は二千五百名
を突破して、此の入場料金一
円十銭も仲々馬鹿に出來ず全
満では奉天、大連に次いでの
売上 を示して日本内地を入れても全
国八位といふ数字を示してる
るから新京人は送迎が好きと
いふことになる、駅の方では
元來入場料はホームの混雑を
整理する為に実施されたもの
で金額が上つても却つて迷惑
千萬で有ると言つてゐるが、
こんな数字を示してるるとす
れじ別段悪い気もしないとい
ふものだ、で此の人場者は勿
論料金を払つた者のみの人員
で此の外に制服着用の日満軍
警、公務執行の為出入する公
務員の無料入場、それに軍隊
遺骨送迎の為に入場する在郷
軍人、国防婦人会員、学校児
童生徒数は国難に直面して愛
國心の発露は日を迫つて拡大
其の人員は増加する一方であ
るから最近は驚くべき数字を
示してゐて新京駅のホームの
混雑するのも又宜なるかなと
思はせるのである
(昭和12年12月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
昭和十二年を顧みてF
國都伸展を物語る
新京駅の数字
本年も又驚くべき躍進(下)
大新京の混雑を一と處に集め
た如き感を與へる程右往左往
広い構内も列車発車時には身
動きも出來ない旅客、送迎客
で埋まる新京駅を今度は
収入 の方から眺めると、毎日の旅客
の払ふ運賃は少い日で一萬二
千円、多い日は一萬五千円を
超えるのである、昨年度の統
計は平均一万円を示してゐる
から非常な増収と言ふべきで
あるが、旅客数は大した増加
を見せず、事変の結果下半期
は滅少を示してゐるにも拘ら
ず運賃収入が増加してゐるこ
とは非常に興味深いことであ
る、これは全国における満鐵
国鐵の統制が全く完備した上
に日本鐵道局との聯絡も整備
して、幾多の長途旅行団体が
行はれたことやツーリストピ
ユーローの叮嚀な宣伝に依つ
て一般旅客が如何にして切符
を上手に買ふかといふ事を知
つたこと等種々原因があるが
詳細な点になると駅の方でも
一寸わからないと言ふ程で研
究して見ると興味ある問題と
なるであらう、次に往来する
旅客に附帯してゐる小荷物の
発送到着個数を見ると同様前
年度よりも増加を示してゐる
即ち発送受託小荷物が毎月三
千個から多い月は五千個に達
せんとしてゐる、到着の方も
同様二千個から四千個の間の
数字 を示して新京市内へと散つて行
くのである、しかも駅止めで
下したまゝ四日から五日も長
いのになると一ケ月後に受取
りに來るのも有る、中にに遂
に引取主も不明で致方無く競
売に付せられる品物も相当な
額に達してゐるといふから世
の中も様々である、こんな風
に毎日朝は薄明の中から夜十
一時まで連京本線、京図、京
濱、京白各線から流入り流出
る旅客荷物を右から左へと手
際良く處理してゐる駅員の数
は駅長以下日満人合して十一
月末日現在で八百五十名に少
し足らないといふ数で昨年十
一月から見ると約三十名の減
少を示してゐる、幾多の事務
が増加を示してゐるのにも拘
らず駅員の減少を見せてゐる
のは事務の練達と無駄を省く
ことに努力してゐる駅員の熱
心に依るものであるが、鐵道
マンとして鐵道五訓の至誠奉
公、協力一致、規律厳守、研
究錬磨、質実剛健及び新京駅
是である「一歩前に凡てに」
を守り輸送の円滑を図つてゐ
るのに依るものである、而も
事変発生後数十名の派遣員を
前線に送り不足な駅員でやつ
てゐることは實に偉とすべき
である、最後に駅構内営業と
して満鐵直営の構内食堂は全
満中でも其の美味を賞せられ
て一月平均一万円の売上を見
せてゐる、一日の利用者数は
六百名から多い時は八百名を
越える、しかも興味深いこと
は春秋より旅客の少い
夏季 が売上多く壱萬二千円に達して
ゐるのは暑さに疲れた旅客が
一時の憩ひに冷たいものを要
求するからに因るもので、此
處ばかりは団体客に無関係で
ある
(昭和12年12月8日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
吉林北山スキー場
十九日山開き
ビユーローで団体客募集
(昭和12年12月16日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
明春劈頭の豪快
老松嶺
密林で 大猛獣狩り
ビユーローで百名団体募集
内鮮満に呼びかけ
(昭和12年12月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
明朗北支視察へ
旅行団を募集
本社後援 駅、ビユーローで
(昭和12年12月23日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム、)
北支視察団
きのふ出発
(昭和12年12月30日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
昭和13年 ****************************
双城堡戦蹟記念碑
参拝団体を募集
卅一日歩四、長勇会主催で
(昭和13年1月16日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
銀嶺は招く<横見出し>
待望の降雪で
土們嶺スキー場好調
來る日曜愈よスキー大会開催
(昭和13年1月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
土們嶺スキー場
ヒユツテ開場式
大会兼ね廿三日挙行
(昭和13年1月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
土們嶺スキー大会
(昭和13年1月24日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
戦跡を偲ぶ
参拝団体募集
卅一日夜新京発一日帰来
(昭和13年1月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
双城堡戦蹟記
念碑参拝団
今朝出発
(昭和13年1月31日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
招く四季の魅力
多彩な”旅行満洲”
今年のスケヂユールは?
立春も近くやがて水ぬるむ頃
ともなれば人々は長い半歳の
冬籠りから解放されて旅へと
誘はれて行く、春の行樂に青
葉のハイキングにと心は躍つ
て思ひ/\にプランをたてる
が、この良き指導者であるジ
ヤパン・ツーリスト・ピユ
ローでは新京案内所及び新京
駅共同主催の本年のスケジユ
ールを発表した、毎年恒例の
団体中に本年より新しく参加
して異彩を放つものとしては
北満の温泉ハロンアルシアン
の夏の行樂と新天地支那の視
察団あるが、殊に九月上旬に
の支那旅行は往路満支直通列
車で国境山海関を経て北京、
青島より遠く上海に赴き帰路
は航路を選び旅行区域中北支
にわたつてゐるもので非常に
期待されてゐる、全スケジユ
ールは左の如くである
◇三月【中旬】永沼挺身隊墓
碑参拝(五〇〇名)
◇四月【上旬】満人訪日團
(廿五名宛三班)【中旬】
新京哈爾浜対抗狩猟大会於
陶頼昭(廿名)【下旬】安
東見学及び五龍背入浴団(
廿名)
◇五月【上旬】旅大観桜団
(卅名)郭家店花見団(百
五十名宛二回)【中旬】北
支視察団(廿名)吉林鵜飼
見學(六月まで毎日曜日百
名宛)【下旬】下九台ハイ
キング(百名)飲馬河釣魚
(卅名)土們嶺ハイキング
(百名)
◇六月【上旬】大屯娘々廟
会(三百名)吉林北山廟会
(六百名)王府見学(三百
五十名)【中旬】松花江ピ
クニツク(五十名)昌図天
福山ハイキング(廿名)新
京哈爾浜対抗釣魚大会陶頼
昭(廿名)
◇七月【上旬】哈爾浜煙火見
物(卅名)土們嶺苺狩(五
十名宛二回)【中旬】哈爾
浜都市見學(二十五名)納
涼列車(百名宛三回)【下
旬】ハロンアルシヤン入浴
團(廿名)旅大回遊海水浴
(廿名)
◇八月【中旬】佳木斯北満経
済視察団(廿名)哈爾浜日
帰り旅行(百名)
◇九月【上旬】支那視察団
(廿名)【中旬】公主嶺ヂ
ンギスカン大会(五十名)
◇十月【上旬】土們嶺芋掘団
(毎週日曜日五十名宛)
【中旬】新京哈爾浜対抗狩
猟大会於陶頼昭(二十名)
【下旬】沿線忠霊塔参拝(
卅名)
◇十一月 土們嶺スキー大会
(五十名)吉林スキー大会
(五十名)
◇十二月 十一月同様スキー
大会(廿九日出発一月七日
帰着)青島、上海視察団(
廿名)
(昭和13年2月2日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
長勇会の双
城堡憑弔団
一行恙なく帰来
(昭和13年2月2日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
永沼挺身隊墓碑へ
恒例の参拝団
紀元節を期して長勇会募集
(昭和13年2月7日付新京日日新聞朝刊4面=マイクロフィルム)
あすは吉林へ
本年最後の スキー大会
団体申込みにまだ余裕あり
(昭和13年2月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
スキー大会
(昭和13年2月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
桜咲く日本へ
満人視察団募集
駅、ビユ
ロー主催 日満観光親善
(昭和13年3月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
海越えて国民交驩
獨伊観光団募集
ビユーローが初夏の候に
画期的な旅程編成
(昭和13年3月6日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
時は春桜花は見頃
日本へ!内地へ!
全満に漲る素晴らしい訪日熱
(昭和13年3月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
本社後援<横見出し>
春旅を兼ねて恒例の
全満忠霊塔巡り
五月一日新京出発に決定
(昭和13年4月12日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
花見旅客に
割引乗車券
(昭和13年4月15日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
桜も今年は早咲き
沿線忠霊塔巡り
本社後援<横見出し>
來る廿五日出発に繰上げ
申込者殺到の盛況
(昭和13年4月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
花信南から
満開は天長節頃
観桜旅客に割引き
(昭和13年4月21日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
忠霊塔参拝団
きのふ出発
(昭和13年4月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
花の満開
頃はよし
(昭和13年4月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
臨時列車<横見出し>
出しても出しても
未だ足らぬ!
駅は旅客の洪水だ
旅客の洪水で目が
廻る様な満鉄では
緩和策として運転
休止中であつた新京、奉天間
廿三、廿四列車を先に復活し
たが、まだく足らぬといふ
訳で更に新京、奉天間臨時二
三等普通列車を奉天発五日か
ら新京発六日から、當分の間
運転することになつたから精
々利用されたいと、運転時刻
は左の如し<略>
(昭和13年5月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
娘々祭割引
新たに適用地
五ケ所追加
(昭和13年5月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
恒例春の探勝会<横見出し>
スクラム組んで!
風薫る浄月潭へ
來る廿二日(日曜)挙行決定
美人競写会も開催
(昭和13年5月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
釣は如何!
飲馬河へ釣魚
団体募集
(昭和13年5月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
新緑をもとめて
国都近郊へ! けさ新京駅からドツト繰出す<飲馬河を含む>
(昭和13年5月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭水郷探勝会<社告>
(昭和13年5月12日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
浄月潭水郷探勝会<社告>
(昭和13年5月13日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
浄月潭水郷探勝会<社告>
(昭和13年5月14日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
近づく娘々祭
郷土色に華添ふ数々の催し物
阜豊山
まで… 臨時列車運転
(昭和13年5月16日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
浄月潭探勝会
早くも申込殺到<2行横見出し>
明るい青空の下
招く水郷の魅力
宝探し、運動会、美人競写会に
興を添ふ行楽の華
(昭和13年5月17日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
釣魚列車割引
飲馬河陶頼昭へ
(昭和13年5月19日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
廿二日日曜日<横見出し>
翠緑招く浄月潭
待ちかねる市民
満員近し明日締切り
(昭和13年5月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
天気も上つた!
初夏の浄月潭へ
集合は駅前一ケ所に変更
(昭和13年5月21日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭水郷探勝会<社告>
(昭和13年5月21日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
申込殺到に増車
けふ一日受付け
浄月潭行愈よあす
(昭和13年5月21日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
浄月潭
愈よ本日午前十時駅前出発<社告>
(昭和13年5月22日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
カメラ日和
ハイク日和
一行賑々しく出発
浄月潭へ!浄月潭へ!
(昭和13年5月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
浄月潭アルバム
(昭和13年5月23日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
大屯阜豊山 娘々祭
廿五日から五日間
国都から便利な臨時列車
(昭和13年5月25日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
楽土の書架彩つて
大屯娘々祭り始まる
晴れ着美しい姑娘の笑顔に
盛上る伝統と郷土色
(昭和13年5月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
水郷吉林へ!
來る日曜日に団体で
(昭和13年6月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
松花江川開き
見物は団体で
(昭和13年6月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
ハルピン松花江
七月一日河開き
新京から観光団募集
(昭和13年6月27日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
土們嶺苺狩り 本社後援<横見出し>
赤い実は熟盛り
來る七月三日一家揃つて
(昭和13年6月29日付新京日日聞夕刊2面=マイクロフィルム)
土們嶺いちご狩<社告>
(昭和13年6月30日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
莓狩り
超満員
申込み締切る
(昭和13年7月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
夏は招く海へ山へ
サンマーハウス予約開始
(昭和13年7月3日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
お土産待つておいで
土們嶺苺狩り
けさ一行賑やかに出発
(昭和13年7月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
本社・駅・TB共催<横見出し>
嬉しいお土産ドツサリ
莓狩盛況に終る
(昭和13年7月4日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
來る九日吉林で
全満花火大会
本社後援
団体募集 名物鵜飼も見物
(昭和13年7月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
移民地の実情を
視察して慰問
駅、ビユーロー今秋の計画
(昭和13年7月17日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
石碑嶺
浄月潭 ハイキングと
浄月潭探勝会
本社
後援 次の日曜のお楽しみ
(昭和13年9月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
満喫せよこの秋
ハイクと探勝に
十一日本社の催し申込殺到
(昭和13年9月9日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
ハイクと探勝会
申込みはけふ限り
(昭和13年9月10日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
浄月潭探勝も
十八日延期
石碑嶺は秋草繁し
(昭和13年9月13日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
ハイキングの序に
温泉浴はいかゞ
來る十八日は下九台温泉へ
(昭和13年9月13日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
申込みあす限り
下九台ハイキング
(昭和13年9月16日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
ハイクと探勝会
秋晴の郊外に奏でる健康譜
本社主催あす決行
(昭和13年9月17日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
満喫せよこの秋
鍛へよ健康体!
石碑嶺へ!浄月潭へ!下九台へ!
あすは宛ら新京日日デー<曲がり見出し>
(昭和13年9月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
秋の色益々深し
ハイクの絶好時
下九台と浄月潭行延期
(昭和13年9月20日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
お待
兼ね ハイクと探勝会
愈よ二十五日決行
(昭和13年9月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
お待ち兼ね<横見出し>
ハイクと探勝会
愈よ二十五日決行
(昭和13年9月25日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
秋酣はの水郷に
楽し健康謳歌
賑ふ浄月潭ハイクと探勝会
(昭和13年9月26日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
沿線忠霊塔参拝団体
六日新京駅発
申込みは五日まで
(昭和13年10月1日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
南満沿線忠霊塔詣で
あす団体出発
参加申込みは明朝まで
(昭和13年10月6日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
新京一の太公望は誰れ?
開放された水郷浄月潭に
本社
主催 一六日に魚釣大会
(昭和13年10月13日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
釣魚大会は
飲馬河に変更
家族連れの参加を望む
(昭和13年10月14日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
飲馬河釣魚大会<社告スタイルだがも社名がない>
(昭和13年10月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
鯉、鮒、鯰等思ひ/\
飲馬河は招く
魚釣大会盛況申込み相つぐ
(昭和13年10月15日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
聖地小八家子村へ
市民見学団体募集
來る廿三日本社主催で
(昭和13年10月21日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
秋空高し教会の塔
小八家子聖地見学団
人気呼び申込殺到
(昭和13年10月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
聖塔に映ゆる秋空
聖地見学愈よ明日
出発は午前十時駅前から
(昭和13年10月23日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
聖地を訪れて
賑つた小八家子行
(昭和13年10月24日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
本社後援競猟大会
天狗連よ集まれ
二十九日昌図で
(昭和13年10月26日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
獲物を待て
競猟大会一行
勇躍出発
(昭和13年10月30日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
卅名のハンターに雉百四十六羽
本社後援の競猟大会
(昭和13年11月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
練習艦隊來る!
大連入港
を機会に 拝観団体を募集
(昭和13年11月7日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
スキー旅客の
運賃を割引
(昭和13年11月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
本社、市公署共同主催献納兎狩り
來る四日の日曜日
小八家子で挙行
哈拉哈でも同時に
(昭和13年11月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
献納兎狩り<社告>
(昭和13年12月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
スキーヤー優待
土、日、祭日の吉林、土們嶺行
新京駅で往復運賃割引
(昭和13年12月2日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
献納兎狩り<社告>
(昭和13年12月3日付新京日日新聞夕刊1面=マイクロフィルム)
献納兎狩りの
申込はあす限り
速に電三−三、八八〇番へ
(昭和13年12月3日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
小八家子兎狩り
愈よあすに迫る
本社
主催 出発午前十時新京駅前
(昭和13年12月4日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム)
満映ニユース班も出動
兎狩り 空前の人気
申込は出発迄受付
(昭和13年12月4日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム)
寒気克服、快味満喫
小八家子兎狩り大盛況
(昭和13年12月5日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム)
北山スキー場開き
あすの日曜日 参加団体募集
(昭和13年12月10日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
年末年始の休みに
北支視察団募集
新興張家口まで
(昭和13年12月10日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
北支皇軍慰問並経済視察団募集<新京駅広告>
(昭和13年12月12日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大猟の噂!同志ハ
リ切る
本社後援・王府の献納兎狩り
愈よ十八日決行
(昭和13年12月15日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
王府の献納兎狩り
明朝八時廿五分出発
獐、雉、山七面鳥居る
(昭和13年12月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
年末年始の休みに
北支視察団
皇軍慰問も兼ねて
(昭和13年12月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
北支皇軍慰問並経済視察団募集<新京駅広告>
(昭和13年12月24日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
兎四十三頭
背負切れぬ程の獲物に凱歌
王府献納兎狩り
(昭和13年12月19日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
北支皇軍慰問視察団
締切あす限り
(昭和13年12月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
昭和十三年を顧みて
國都の大玄開も
不眠不休體勢に
記者 湊本英二
そこはかと無き淡い哀愁もて
往来する旅人の群、この國が
持つ特異性の一つとして民族
協和の名に相応しく幾多の民
族が或は來り、或は去り海の
無い港新京の混雑をこゝに集
めたが如き国都の玄関口新京
駅の一年は時にダイヤの狂ひ
こそあれ、毎日々々に同じ列
車を迎へ、送り変化なき日を
送つたが如く見られるが、そ
こにもやはり幾多の変化があ
り、進歩がある、本年の最も
重大なポイントとして記録さ
れるのは大陸の玄関口釜山と
黎明北支の北京を結ぶ大陸特
急を根幹とした今次事変を契
機とする日満支交通の緊密化
に対処して十一月一日を期し
實施された全満鐵道のダイヤ
改正であらう、このダイヤ改
正は主要都市間のスピードア
ツプ及び客荷の増加に伴ふ列
車の増発を輸送力の許す範囲
内で行はれたものでこれによ
り鮮満支間は勿論国内交通連
絡に著しく整備拡充され産業
開発、文化向上に一段と拍車
を加へたものであつた、新京
駅はこの改正に依り南北満を
繋ぐ楔として従來奉天止りで
あつた釜山発急行のぞみの延
長、京濱線の列車増配等名實
共に輝かしき国都の玄関口と
してその威を備へ、しかも又
従来無かつた深夜列車の登場
に依り今までは深夜闇の中に
眠つた新京駅も不眠不休の体
勢を取るに到つた、又新京駅
の分身にして且つ近き将来に
於ける国都の中心駅となるべ
き南新京駅は待望の急行停車
は遂に種々の事情の為次の機
会に譲られたが、その前奏曲
としてはとが上下共停車する
ことゝなり、同駅でし当日大
連行はとの初停車に駅頭の万
国旗も賑やかに南新京町内会
総出で万歳を叫びこの国都中
心駅への第一歩を祝福したの
であつた
◇
筆を再び新京駅へ戻し、毎日
七千人平均の乗降客を送迎し
三千人近くの入場者を収容し
てのホームの混雑ぶりが示す
乗降客の数字をひもとくなら
ば左の如くであり、今更乍ら
呑吐する旅客の多数であるこ
とに驚嘆するのである
▲乗車人員
一月 九一、五二五名
二月 七五、三六〇名
三月 一〇四、八八二名
四月 一三六、七四四名
五月 九九、七六二名
六月 八八、○四四名
七月 九三、七九五名
八月 九五、五七八名
九月 九七、七八四名
十月 一〇三、二九〇名
十一月 一一一、四三七名
▲降車人員
一月 六、〇八六名
二月 八一、二九七名
三月 一〇九、八〇〇名
四月 一〇五、一〇八名
五月 一一二、二四四名
六月 九五、七七七名
七月 九八、六一二名
八月 一〇一、四四一名
九月 一〇三、四八〇名
十月 一〇五、五三四名
十一月 一一一、〇一五名
春秋に旅客の増加するのは勿
論観光客の為であり、昨年は
事変突発のため七月以來決定
してゐた視察団体も中止され
たりして幾分の淋しさを与へ
たが、本年は新興満洲国を世
界人に認識させやうと新京観
光協會はこの年事務所を市公
署内より駅前ビユーロー二階
へ移し、ビユーロー新京交通
会社と緊密なタイアツプを行
つて本格的に国都への誘致に
乗出した、これらの効果及び
延びる大陸への研究に教育者
の真面目な移民地視察団を特
徴として其他各種観光団が三
月下旬頃よりどつと押寄せて
來た、個人としての観光客の
統計は依るべき確実なものが
無いが、団体統計を見るなら
ば宜なるかな、五月に於る百
五十九団体、一萬千百十名と
いふ数字は実に新京駅初まつ
てより迎へる観光団体の一ケ
月間中の最高の記録であつた
十月までに新京駅へ降車した
団体客は六白六十二團体、三
萬三千四百四十三名で昨年一
ケ年分の四百七十八団体、二
万四千九百八十二名をはるか
に突破してゐるのであつて、
これらの視察者は何れも初め
て見る大陸の風貌と民情に驚
異の目を向けると共に移民報
國第一線の困苦を認識して極
めて真摯な態度を以て帰つた
彼等の語る所に依れば満鐵の
サービスの行届いているのに
は何れも賞讃してゐるが、国
都旅館サービスの落第、満洲
土産の貧困を口を揃へて評し
てゐるのは国都観光部門の明
年に残された課題として研究
すべきであらう、次に新京駅
か送つた出発団体を拾つてみ
ると十月末現在で百九十四団
体一萬七千九十二名で昨年分
百七十五團体一萬四千九百七
十五名よりも増加を見せてゐ
るのは當然であらうが、注目
すべきことは満人団体か従來
に見ない活溌な動きを見せた
ことでこれが増加の主要な原
因であり、一部の訪日旅行団
を除いてその多くは国内に於
ける小旅行であつたとは言ひ
ながらも、満人方面の新しき
知識への探求に乗出したもの
として喜ぶベきことであつた
訪日旅客団は官吏に多く春季
に於ける新京駅、ビユーロー
新京案内所主催の満人訪日団
を始めとして治安部、司法部
関係より多く派遣されたのは
この方面に先進国日本の指導
を必要とすることを現してゐ
るものだらう
◇
ともあれこれらの多様の旅客
を送迎した新京駅の過去一ケ
年は實に多忙極まるものであ
り、しかも人口の増加、列車
の増配等に依りその仕事は前
年よりもずつと忙しくなつて
ゐるにも拘はらず駅員は依然
として約八百五十名を保ち、
しかもその間北満、北支等の
応援出張も送りながらこの各
方面から賞讃されるサービス
を以て終始一貫進んだことは
実に稲田駅長以下全駅員の一
致協力の現はれであることを
述べてでこの項を終らう
(昭和13年12月24日付新京日日聞朝刊2面=マイクロフィルム)
昭和14年 ****************************
時局下相応しい
双城堡戦蹟参拝
本社後援 長勇會で団体募集
(昭和14年1月26日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
新開河鉄橋爆破の
永沼挺身隊墓碑
参拝団体募集開始
(昭和14年2月2日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
五日の日曜から
スキー列車
吉林と北山間往復
(昭和14年2月5日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
団体旅行は
ビユーローヘ
諸種の便宜が与へられます
(昭和14年2月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
十一日のスキー大会
見学団体募集
午前八時十分発、七時半帰京
(昭和14年2月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
永沼挺
身隊 慰霊祭
現地で盛大に執行
(昭和14年2月12日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
土們嶺スキー祭へ
駅で参加団体を募集
(昭和14年2月15日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
スキー団体
出発時刻変更
(昭和14年2月16日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
雪解け、春の地肌
土們
嶺の スキー祭も中止
(昭和14年2月18日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
新京駅でも…
團体客はお断り
廿人迄なら特に便宜
観光シーズンの出鼻を押へて
日本の鉄道局では「団体旅行
客お断り」の赤信号を出した
が、満鐵でも殺到する旅客の
需要に応じ切れなくなり「観
光団体客は御遠慮下さい」と
嬉しい悲鳴を挙げるに至つた
ので、新京駅でも一日から会
社に於て特に認めたもの以外
の団体旅客の運送申込の受理
及び祭典参拝、温泉、観桜等
の旅客運賃割引の取扱ひを停
止することになりその旨掲示
した、尚右に関して駅旅客案
内所では左の如く語つてゐる
拓士の輸送など重要で急を要するものを先とするので自然観光客には御遠慮願ふことになり、二十人以上の団体客はもう殆んど受付ける余裕がありません、それ以下の団体ですと一週間も前から申し込んでいたゞければ特に便宜を図ることにしてをります
(昭和14年3月3日付新京日日聞朝刊7面=マイクロフィルム)
開拓民輸送会議
十三、四日新京で開催
満洲開拓群は本年度は義勇隊
三萬、集團開拓農民一萬、自
由開拓民一千、その他家族、
縁故開拓民等を合算すれぱ五
六萬の多数に上ることが豫想
され、これが輸送方について
は他の民需、官需、特需等の
輸送等も行はれる関係上、船
腹車輛等に無理が生じ日満間
における関係各機関において
確たる輸送計画を樹立するに
非ざれぱ円滑なる輸送を期待
し得ざるに至るを慮り、移住
協會、満鐵、満拓、拓務省、
満拓地方事務所の各関係機関
は協力し、これが輸送に萬全
を期すべく來る十三日、十四
日の両日新京において開拓民
に関する輸送会議を開催する
ことゝなつた
(昭和14年3月5日付新京日日聞朝刊2面=マイクロフィルム)
第一次開拓民の
輸送方針決る
五、六月にかけて約一萬人
日鮮満各関係者を網羅して十
三日拓殖委員會會議室に開催
された第一次開拓民輸送会議
では大体五月下旬より六月上
旬にかけて入満する約一萬の
青少年義勇隊の輸送方法を左
の如く決定した、なほ八月初
旬頃より開始せられる第二次
約一萬の義勇隊員入植に関す
る輸送方法については改めて
六月末第二次輸送会議を開催
して決定することゝなつた
一、各関係機関においては担当分野の輸送に萬全を期しつゝ横断的連絡を密にする
こと、例へば配車については鮮鐵、満鐵、配船については大阪商船、北日本汽船
などが責任を負つて遂行する
二、輸送ルートは大連経由、釜山経由、裏日本経由の三線を採用するが、主として
大連、釜山経由とし朝鮮線は予備ルートとすること
三、輸送量増加を目的として裏日本ルートにおける日本汽船、北日本汽船両社共現
在三日に一回の配船(月十回)を二日に一回(月十五回)となすこと
四、事務的方面においては(イ)出航前の身体検査を徹底的に行ふ(ハ)輸送途中
における糧食補給、飲料水補給、衛生事故に対する医師の配置は各輸送線上の重
要拠点に物資プールを設定医師も同様に配置する
なほ集団開拓民に対する輸送方法は従來通りその都度これを決定すこことになつた
(昭和14年3月15日付新京日日聞朝刊3面=マイクロフィルム)
歩かう国策コース
めつたにない二日続きの休み
春風の
郊外へ 用意はいいか!
(昭和14年3月31日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
行かう春の郊外へ
恒例の本社主催浄月潭探勝
廿一日
日曜 初の団体乗込み
(昭和14年5月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
待望の浄月潭ハイク
愈よ二十一日
申込殺到なるべくお早く
(昭和14年5月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
本社主催 浄月潭探勝<社告>
(昭和14年5月18日付新京日日新聞朝刊2面=マイクロフィルム、)
浄月潭行
申込締切
(昭和14年5月20日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
娘々祭近づく
今年は臨時列車中止
<略>尚例年鉄道総局に於ては参拝者の便を図つて臨時列車を運行し団体割引を発売してゐたが、今年はこれ等を取止僅かに客車の増結に止めることとなつた
<民族の大祭典として6月3〜7日大屯で催される>
(昭和14年5月31日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
五十名限り増員
本社
主催 土們嶺苺狩り
<定員100人を超えたため>
(昭和14年7月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
土們嶺苺狩り
二日午前十時五分新京駅出発▼参加者は午前九
時半迄に新京駅降車口へ集合され度い
(昭和14年7月2日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
苺狩申込者へ
<雨で延期、参加取りやめる者には料金を返し、その人数だけ新規参加者を募集>
(昭和13年7月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
土們嶺苺狩り
約二十名のの追加会
員申込受付します
(昭和14年7月8日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
あす土們嶺苺狩り
<昨年のような豊作ではないので収穫は少ない見通しと書いている>
(昭和14年7月9日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
土們嶺苺狩り中止
会費は本社で払戻し致します
<9日雨で見送り延期しても収穫時期を過ぎてしまうため中止と決定>
(昭和14年7月10日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団募集
八月六日(日曜)百五十名
<満鉄ではなく主催は新京日日と新京交通会社、150人がバスでキリスト教徒の村を見学し野菜を買う>
(昭和14年7月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団募集
八月六日(日曜)百五十名
<満鉄ではなく主催は新京日日と新京交通会社、150人がバスでキリスト教徒の村を見学し野菜を買う>
(昭和14年7月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団
(昭和14年8月2日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団
<募集要項の囲み記事>
(昭和14年8月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
小八家子見学団
<募集要項の囲み記事>
(昭和14年8月3日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
夏雲と共に遊ぶ
聖地散策の涼味
本社
主催 小八家子見学団
<120人がバス6台に分乗して見学、真桑瓜4個の土産配る>
(昭和14年8月7日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
秋晴の浄月潭へ
本社
主催 探勝会は十月一日
(昭和14年9月28日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
行かう秋の郊外へ
浄月潭探勝会とハイキング
(昭和14年9月28日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
浄月潭は招く!
申込は観光協会へ
(昭和14年9月29日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
浄月潭探勝
申込締切ました
(昭和14年9月30日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
あす浄月潭探勝
時間に遅れない様に
(昭和14年10月1日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
浄月潭行
好天に大賑ひ
(昭和14年10月2日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
昭和15年 ****************************
スキーヤーに割引き乗車券
新京
北山 間に吉鐵の奉仕
(昭和15年1月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
武勲永久に薫る
永沼挺身隊の偉功
輝く記念日を迎へ
本社後援 墓碑参拝団を募る
(昭和15年1月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
吉林北山行
スキー列車
(昭和15年1月25日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
大陸戦士の華
田村
望月 両勇士慰霊祭
紀元節参拝団募集
(昭和15年1月31日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
参加して欲しい
赤心二千六百人
永沼挺身
隊墓碑 参拝団募集
(昭和15年2月3日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
申込殺到!
永沼挺身隊墓碑参拝へ
集る市民の熱誠
(昭和15年2月10日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
発車直前まで
申込み受付け
永沼挺身隊参拝団
(昭和15年2月11日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
満蒙日本視察
団体日程
(昭和15年2月18日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
二千六百年の
日本へ春の旅
満系も参加の盛況
(昭和15年3月6日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
春の競猟大会
神武天皇
祭佳節で 遼河河畔に展開
(昭和15年3月12日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
サンマーハ
ウス開設
大陸の鎖夏
(昭和15年6月16日付新京日日新聞朝刊6面=マイクロフィルム、)
旅客閑散期に
健康の集團旅行
五月―八月に募集
旅行シーズン、ハイキング
シーズンを迎へてツーリス
ト・ピユーロー新京支部で
は時局柄遊興的な旅行團、
ハイキング團の受付は固く
おことわりし、併せて両様
な計画も一切廃してゐたが
一方から見ると歴史の深い
満洲で本当によい見学旅行
をし満洲の認識をより一層
深めることは非常な意義が
あるので、国民精神総動員
の趣旨に基いて国民の体位
向上を期すると共に右の如
き趣旨の団体行動を極力助
成して国民融和一心への一
助たらしめやうと比較的に
旅客輸送の輻輳しない五月
から八月迄を狙つて特に遊
覧を目的としない集団旅行
を奨励することとなり廿三
日の日曜日には新京駅との
共同主催で王府見学団五百
名を送ることとなつた、更
に引続いて
六月卅日(日曜日)吉林
見學圏(一〇〇名)▲七
月七日(日曜日)土們嶺
ハイキング團(一〇〇名)
▲七月十一日(木曜日)
哈爾浜視察団(五〇名)
▲七月廿一日(日曜日)
、飲馬河釣魚團(五〇名)
▲八月三日(土曜日)鏡
泊湖探勝団(五〇名)
の見学団を募集することに
なつてゐるが、その中でも
特に土們嶺行は時によつて
は莓狩の計画を、哈爾浜視
察では川開き見学をも併せ
て行ふ筈になつてゐるので
特に家族づれの参加を希望
してゐる
(昭和15年6月23日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
土們嶺に莓狩り
七月
七日 涼風のプレゼント
(昭和15年6月28日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
本社
後援 土們嶺苺狩り
愈よあす決行(午前九
時集合)
(昭和15年7月7日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
土們嶺苺狩り賑ふ
(昭和15年7月8日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
花あるコース
本社ハイ
キング 相踵ぐ申込
(昭和15年9月11日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
早くお申込下さい
ハイキング申込殺到
(昭和15年9月14日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
金剛山探勝
(昭和15年9月15日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
石碑嶺
浄月潭 ハイキング
けふ十五日午前十時
新京駅前出発
(昭和15年9月15付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
花あるコース
本社ハイキ
キング 相踵ぐ申込
(昭和15年9月11日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
早くお申込下さい
ハイキング申込殺到
(昭和15年9月14日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
秋の哈爾浜見
学団募集
(昭和15年9月14日付新京日日新聞朝刊7面=マイクロフィルム、)
秋を満喫
たのしい終日を送る
本社
主催 ハイキング
(昭和15年9月16日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
《団体往来》△新京駅J・T・B主催哈爾浜忠霊塔参拝団二十二名、午後十時三十分哈市へ
(昭和15年9月22日付新京日日新聞夕刊2面=マイクロフィルム、)
龍潭山紅葉狩り
申込みけふ締切り
(昭和15年9月28日付新京日日新聞朝刊3面=マイクロフィルム、)
尽波からの弁解 ****************************
ここまで読んでくれた学外のお方も含めて皆さんにね、私はお断りとお詫びをしなきゃならんのです。というのは、目次に書いたように平成28年にジオシティーからこのビッグローブに移転したとき、リンクを張っていたいくつかの別ページを置き去りにしちゃったんですなあ。
今となってはどうしようもないが、幸いこのページは末尾に納涼列車の総括だったと思うが、なにか一言書き入れるスペースを空けた未完成の形が残っていたのです。それで多分こうだったろうと思うことを以下に書きます。
はい、繰り返しになるけれど、新聞を通じて「公主嶺まで列車に乗って涼みに行こう」と新京市民を集めた列車は走ったけれど「公主嶺までジンギスカンを食べに行こう」という列車はなかったとみます。でも磯野さんのいう「ジンギスカンを食べにくる新京からの団体列車」はあったのでしょう。
つまり官公庁単位、全社あげての旅行会、慰労会、家族も加えた運動会として公主嶺ジンパ列車が走ったと考えます。皆さんには想像しにくいだろうが、戦前、いや戦後でも、そうだなア、昭和30年代はまだそういう団体行動、行事は結構やっていたね。私の学生時代、主任教授以下全員が貸し切りバスで支笏湖へ行ったり、クリスマスパーティーをやってましたね。
移転して4年もたってしまいましたが、尻切れトンボでも私の努力の跡を見てもらうことは、ヤフーの「サービス終了のお知らせ」より遙かにマシと考えて、そのままの形で復活させました。
私はね、新京で8番目にできた東光小学校に入学し4年生まで通いました。風呂以外はオール電化、スチーム暖房の満洲電業の社宅に住み、夏は独身寮の屋内プールに行き、冬は校庭のリンクは勿論、公園の川でもスケートをした。新京にはいろいろ思い出があるのです。
ここまで読んでくれてありがとう。元に戻ってさらに読み進んで下さい。
なお東光小学校、後の東光在満国民学校のことは、初代にして最後の校長、大倉茂先生が語った「わが母校、満洲に消ゆ」は東京12チャンネル社会教養部編「私の昭和史1 暗い夜の記憶」(170ベージ、昭和47年4月、学芸書林)にあります。
|